恵利原早餅つきとは? わかりやすく解説

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恵利原早餅つき

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/25 22:39 UTC 版)

イオンタウン伊勢ララパークで披露された恵利原早餅つき(2014年1月4日)

恵利原早餅つき(えりはらはやもちつき)は、三重県志摩市磯部町恵利原に伝わる、高速でをつく伝統芸能1994年(平成6年)の世界祝祭博覧会(まつり博・三重’94)を契機に結成された「恵利原早餅つき保存会」が保存・継承を行う[1]

1つのを2人で取り、囃子歌(地つき唄[2])に乗せて餅をつく日本全国で見ても珍しい餅つき方法である[3]。餅つき300回分に相当するもち米約1tを2日でついたという記録を持ち[4]2013年(平成25年)には1秒間に2.5回つくという新記録を樹立するなど、さらなる高速化が進んでいる[5]

起源

恵利原集落

磯部町恵利原は三方を山に囲まれた地形をしており、南東部の平地に集落が形成されている[6]江戸時代の恵利原村は、鳥羽藩磯部組の中で立神村に次いで石高の大きな村であり[7]伊勢神宮皇大神宮(内宮)の鎮座する伊勢国宇治へ至る磯部街道に沿って4つの茶屋が建ち並んでいた[8]。おおむね旧志摩郡磯部村に相当する磯部九郷では最大の村であり[8]、内宮別宮の伊雑宮で行われる伊雑宮御田植祭を4年に1度担当していた[9]。伊雑宮御田植祭では「竹取神事」と呼ばれる、男達が田で泥だらけになりながら忌竹(いみだけ)を奪い合う神事が行われ、その竹を持ち帰り漁業繁盛の守り神とする風習がある[10]。恵利原早餅つきは、伊雑宮御田植祭との関係で生まれたとされている[1][5]

天保年間(1830年 - 1844年)に生まれたとされる恵利原早餅つきの起源は諸説ある[1]

  1. 伊雑宮御田植祭の際に縁起の良いで餅をくるんで提供したところ、好評だったため、数をこなすために高速で餅をつき始めた[1]
  2. 伊雑宮御田植祭の際に竹の形をした餅を提供したところ、好評だったため、数をこなすために高速で餅をつき始めた[11]
  3. 農漁業の繁忙期に、短時間で多くの餅をつく方法として考案された[12]

方法

1本の杵を右利きと左利きのつき手が交互に取りながら、餅をつく[4]。つき始めはゆっくりとした速度でつき、次第に速度を上げていく[2]。餅つきの速度を維持するため、頻繁につき手を交代し、交代する人はついている人の足を蹴って交代の合図を送る[4]。餅を返す人は、餅をつく音で返すタイミングを計っており、目隠しをしても餅を返すことができる[4]。餅をついている間、保存会の女性会員は囃子歌を歌う[2]

つき上がった餅は丸められ、女性会員がきな粉や志摩市の特産品であるあおさのりなどをまぶし、提供される[2]

餅つきの披露

子供の餅つきへの参加

地域では、正月結婚式で披露される[3]。保存会では、出張依頼を受けて1年間に30か所70回餅つきを披露している[5]。21世紀に入ってからはテレビで紹介される機会が増え、志摩市周辺だけではなく、日本国外で餅つきを披露した経験もある[13]イベント等で披露される際は、子供らなど見物客の餅つきへの飛び入り参加を取り入れ、つきあがった餅はその場で見物客へ振る舞われる[3]1997年(平成9年)10月11日に行われた伊勢おおまつりでは、恵利原早餅つき保存会が特別参加し、当時の磯部町長や伊勢市長も飛び入りで餅をついた[14]

2012年(平成24年)1月には鸚鵡岩志摩観光ホテルおかげ横丁で披露され、近畿日本鉄道と志摩市の共催によるイベント「志摩ってこーね列車 新春『開運』三重の酒 利き酒列車」でも披露された[2]

脚注

  1. ^ a b c d 伊勢志摩きらり千選実行グループ. “恵利原早餅搗”. 財団法人伊勢志摩国立公園協会. 2014年1月12日閲覧。
  2. ^ a b c d e 1分間に140回つく志摩市の「恵利原早餅つき」、元旦から引っ張りだこ”. 伊勢志摩経済新聞 (2012年1月2日). 2014年1月12日閲覧。
  3. ^ a b c 「観光の子どもら 仲良くぺったん おかげ横丁で早餅つき」朝日新聞2011年1月10日付朝刊、三重版21ページ
  4. ^ a b c d 酒井菜穂子 (2010年1月13日). “東海の技”. NHK津放送局. 2012年9月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月12日閲覧。
  5. ^ a b c 1秒間に2.5回の高速餅つき―志摩の「恵利原早餅つき」が記録更新”. 伊勢志摩経済新聞 (2013年4月8日). 2014年1月12日閲覧。
  6. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1983):1419ページ
  7. ^ 磯部郷土史刊行会 編(1963):216ページ
  8. ^ a b 平凡社(1983):710ページ
  9. ^ 伊藤 編(1976):22ページ
  10. ^ 磯部郷土史刊行会 編(1963):92ページ
  11. ^ こずえ (2012年1月8日). “恵利原の早餅つき(てくてく歩録)”. おかげ横丁. 2014年1月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月12日閲覧。
  12. ^ 伊勢市観光協会/お伊勢さん新着情報”. 伊勢市観光協会. 2014年1月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月12日閲覧。
  13. ^ 真円真珠100周年記念イベント 東京で祝う真円真珠100周年”. 志摩びとの会 (2007年). 2007年10月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月12日閲覧。
  14. ^ 「御輿や餅つき、開幕日18万人 伊勢おおまつり」朝日新聞1997年10月12日付朝刊、三重版

参考文献

  • 磯部郷土史刊行会 編『磯部郷土史』磯部郷土史刊行会、昭和38年5月10日、506p.
  • 伊藤 保 編『磯部の御神田』磯部町教育委員会、昭和51年3月31日、121p.
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 24三重県』角川書店、昭和58年6月8日、1643p.
  • 『三重県の地名』日本歴史地名大系24, 平凡社、1983年5月20日、1081p.

関連項目

外部リンク


恵利原早餅つき

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/26 14:41 UTC 版)

磯部町恵利原」の記事における「恵利原早餅つき」の解説

詳細は「恵利原早餅つき」を参照 恵利原早餅つき(えりはらはやもちつき)は、三重県志摩市磯部町恵利原に伝わる独自の餅つき方法。恵利原早餅つき保存会技術保持継承を行う。 「早餅つき」の名の通り通常の餅つきの3倍という高速で餅をついていき、餅米1t(餅つき300回分)を2日でついたという記録がある。天保年間1830年1843年)に伊雑宮御田植祭で笹にくるんで餅を振る舞ったが、数をこなすために高速でつくようになったとされる囃子唄を歌いながら2人で1本のをとり、餅をつく

※この「恵利原早餅つき」の解説は、「磯部町恵利原」の解説の一部です。
「恵利原早餅つき」を含む「磯部町恵利原」の記事については、「磯部町恵利原」の概要を参照ください。

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