中年
中年(ちゅうねん)とは、成人として中くらいの年齢であり概すると40代以降や40歳から65歳[1]が該当するとされる世代の年齢である。ミドル[注釈 1]、おじさん[4][5]、おばさん[4][5]、朱夏(しゅか)とも。
定義
NHK放送文化研究所が実施したアンケートによると中年は40歳から50代なかばぐらいまで[6]としている。 内閣府では40歳から64歳までの世代を中高年層とし[注釈 2]、その層を対象にしたひきこもりの調査を行なっている[8]。博報堂生活総合研究所の長期時系列調査「生活定点」の2020年の「おじさん」とは、何歳くらいからを指すと思うか。というアンケート調査では平均して43.24歳からがおじさんだ[9]と思うという調査の内容になっている。
主要な国語辞書においても広辞苑第6版では40歳前後の頃の年齢、新潮現代国語辞典第2版では40歳前後あるいは40歳代の年齢、新選国語辞典第9版(小学館)では40歳前後から50代に掛けての年齢、岩波国語辞典第7版(岩波書店)では40歳ぐらいから50歳の半ばぐらいの年齢、集英社国語辞典第3版(集英社)では青年と老年の間の年齢は40歳前後から50歳代後半ぐらいまでの年齢、三省堂国語辞典第7版(三省堂)では50代の半ばから60代の前期に掛けての年齢[10]としており明確な年齢では表現するのが容易くないのが現状である。
高年齢者雇用安定法における定義
「高年齢者等の雇用の安定等に関する法律」(略称:高年齢者雇用安定法)において、45歳以上の者を「中高年齢者」、65歳以上の者を「高年齢者」という[11]。
脚注
注釈
- ^ ミドルを中年の意味で使う用法の語源は、英語の middle age である。ミドルから派生した語として、魅力的な中年男性を意味するナイスミドル (和製英語: nice middle)、魅力的な中年女性を意味するナイスミディ (和製英語: nice middy) がある[2]。ナイスミディは1980年代中頃に広く認知されるようになった[3]。英語では、中年の人は middle-ager、中年の人を集合的にいうときは the middle aged という。
- ^ 厚生労働省の提言『健康日本21』の資料では、生産年齢人口、幼年期0~5歳、少年期6~14歳、青年期15~24歳、壮年期25~44歳、中年期45~64歳、高年期65歳以上という区分をしている[7]。
出典
- ^ 【京都府】心の健康について > 〈中年期の心の健康〉中年期とは、惑いとこころの揺れの時期2023年1月3日閲覧
- ^ 坂田俊策『NHKカタカナ英語うそ・ほんと』日本放送出版協会、1988年5月20日、59頁。ISBN 4-14-018006-4。
- ^ Kittredge Cherry (2017). Womansword: What Japanese Words Say About Women. Stone Bridge Press. ISBN 978-1-61172-029-7
- ^ a b 【NIKKEIリスキリング】何歳から「おじさん、おばさん」なのか 境目は43歳?2018年1月25日
- ^ a b 【日経BOOKPLUS】「43歳からおじさん」が調査で判明! 「7つの特徴」を大分析2022年12月21日
- ^ 「中年」は何歳から何歳まで? NHK放送文化研究所 2015年4月1日
- ^ “健康日本21|厚生労働省”. www.mhlw.go.jp. 2019年6月13日閲覧。
- ^ 中高年ひきこもり61万人 内閣府が初調査 2019年3月29日
- ^ 【日経XTREND】「43歳からおじさん」が調査で判明! 「7つの特徴」を大分析2020年12月22日
- ^ 【NIKKEIリスキリング】何歳から「おじさん、おばさん」なのか 境目は43歳?2018年1月25日
- ^ 高年齢者等の雇用の安定等に関する法律施行規則(昭和46年労働省令第24号)
関連項目
中年期
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「カレン・バレンタイン」の記事における「中年期」の解説
50代以降も俳優を続けており、2003年にはバーバンクのファルコン劇場で上演された『マグノリアの花たち』でシェルビーの母マリンを演じた。2004年のテレビ映画『Wedding Daze』ではジョン・ラロケットと共演し、3人の娘がいる夫婦を演じている。
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中年期
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1991年(平成3年)にバブル崩壊とソビエト連邦の崩壊に遭遇し、「社会主義の没落」「グローバル資本主義の席巻」の中で中年期を迎えた。焼け跡世代を中心としてアメリカ型システムが無批判に礼賛された一方で、バブル崩壊による就職氷河期に襲われていた子供世代では、不安定雇用労働者(プレカリアート)が増加した。
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中年期
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「オリヴァー・ヘヴィサイド」の記事における「中年期」の解説
1880年、伝送線路の表皮効果に関する研究を行う。同年、同軸ケーブルの発明によりイギリスで特許を取得。 1884年、ヘヴィサイドは、当時は20の式から構成されていたマクスウェル方程式を、今日知られる4つのベクトル形式の式に直した。 1880年から1887年の間に、ヘヴィサイドは演算子法を発見した。しかし、その解法の導出過程は理論的厳密さを欠いていたため、当初は論議の的となった。ヘヴィサイドはこの問題について、「数学は実験的科学であり、定義が先にくるわけではない」、「私は消化のプロセスを知らないからといって食事をしないわけではない」という有名な言葉を残している。 1887年、伝送線路上を伝播する信号から歪みを除去するために、伝送線路に装荷コイル(英語版)を付加する(日本ではそのようなケーブルを指して装荷ケーブルと呼んでいる)ことを提案するが、政治的な理由からすぐには実行されなかった。ヘヴィサイドのこの研究に関する重要性は、The Electrician 誌に掲載されるまで注目されず、この発明に関する権利は認められなかった。AT&TはGeorge A. Campbellを雇用し、また外部の研究者ミカエル・ピューピンにより、ヘヴィサイドの研究に関する調査が行われた。CampbellとPupinはヘヴィサイドの研究成果を拡張し、AT&Tはその成果とコイルの設計方法に関する特許を取得した。AT&Tはヘヴィサイドの研究成果は不完全なものであった、という扱いをした。AT&Tは後に、ヘヴィサイドに対し、彼の権利に対する対価を支払う提案を行ったが、ヘヴィサイドは、その特許が完全に彼の業績であると認めないかぎり、その金銭的対価を受けとらない、として提案を拒否した。ヘヴィサイドは慢性的資金難に悩んでいたが、この提案の拒否により、資金難はさらにひどいものになった。 1888年、1889年の論文において、チェレンコフ放射に関する研究を行う。この研究を元にジョージ・フィッツジェラルドはローレンツ収縮を予想した。 1880年代後半から1890年初頭にかけて、電磁気的質量に関する研究を行う。後に、ヴィルヘルム・ヴィーンが、ヘヴィサイドの式を証明した。 1891年、英国学士院は、電磁現象の数学的記述に関するヘヴィサイドの業績を称え、学士院のフェローの称号を与えた。また王立協会フェローにも選出された。 1905年、ゲッティンゲン大学より名誉博士号を授与された。1922年ファラデー・メダル受賞。
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中年期
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男性のサラリーマン化が進み、団塊の世代として誕生した息子の進路と進学状況は、富裕層やサラリーマン層の家庭では高校や大学に息子を進学させて、娘には短期大学や女子大学に進学させた親や家庭がいる一方で、農家や貧困家庭では、中学卒業や高校卒業の「金の卵」と呼ばれる労働者(「集団就職」も参照)になる家庭に分かれた。また、当時は「女に学問はいらない」という考えも残っていたため、息子は大学に進学させても娘は高卒止まりという家庭も少なくなかった。
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中年期
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「モーリス・ルネ・フレシェ」の記事における「中年期」の解説
フレシェは数多くの機関で数学者としての経歴を重ねていた。1907年から1908年までブザンソンの高校に数学教員として勤め、1908年にナントの高校へ移って一年を過ごす。その後、1910年から1919年までの間ポワチエ大学に勤務した。 1908年にフレシェはスザンヌ・カリーヴ (Suzanne Carive) と結婚し、エレン (Hélène)、アンリ (Henri)、デュニス (Denise)、アレン (Alain) の四子を儲ける。
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中年期
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「グレゴリー・ヘミングウェイ」の記事における「中年期」の解説
グレゴリーは生涯に4回結婚し、パトリック、エドワード、ショーン、ブレンダン、ヴァネッサ、マリア、ジョン(英語版)、ロリアン(英語版)の8人の子供をもうけた。3番目の妻となった、アーネスト・ヘミングウェイの秘書だったヴァレリー・ダンビー=スミス(Valerie Danby-Smith)との結婚生活は、約20年に及んだ。4番目の妻のアイダ・メイ・ガリヤー(Ida Mae Galliher)とは結婚から3年後の1995年に離婚したが、その後も同棲を続け、1997年に再婚した。 1972年、グレゴリーの幼少期のテニスコーチであり当時の恋人だったマヤ・ロッドマン(英語版)は、著書『勇敢な雄牛の生と死』をグレゴリーに捧げた。 グレゴリーは、1970年代から1980年代にかけて、最初はニューヨークで、その後はモンタナ州のフォート・ベントンで医師として、後にはモンタナ州ジョーダンを拠点にガーフィールド郡の医療担当者として医療活動を行っていた。1988年、モンタナ州当局は、アルコール依存症を理由に医師免許の更新を拒否した。グレゴリーは長年にわたり、双極性障害、アルコール依存症、薬物乱用と戦ってきた。
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中年期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/17 03:43 UTC 版)
クレパはポーランドのワルシャワ大学とパリ大学で博士取得後の教育を受けた。1937年、ザグレブ大学の助教授になり、翌年准教授になった。教授となったのは1948年とされている。第二次世界大戦の終結とユーゴスラビア社会主義連邦共和国の成立ののち、彼はアメリカの5大学(マサチューセッツ州ケンブリッジのハーバード大学、イリノイ州シカゴのシカゴ大学、カリフォルニア州のカリフォルニア大学バークレー校とロサンゼルス校、ニュージャージー州プリンストン市にあるプリンストン高等研究所、ニューヨーク州ニューヨークシティにあるコロンビア大学) を訪問した。
※この「中年期」の解説は、「ジューロ・クレパ」の解説の一部です。
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「中年期」の例文・使い方・用例・文例
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