オリヴァー・ヘヴィサイドとは? わかりやすく解説

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オリヴァー・ヘヴィサイド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/07/21 02:13 UTC 版)

オリヴァー・ヘヴィサイド
生誕 (1850-05-18) 1850年5月18日
イギリスミドルセックス州カムデン・タウン
死没 1925年2月3日(1925-02-03)(74歳没)
イギリスデヴォン州トーキー
墓地 デヴォン州ペイントン墓地
国籍 イギリス
研究分野 電気工学、数学、物理学
研究機関 グレート・ノーザン・テレグラフ社
主な業績
主な受賞歴
プロジェクト:人物伝
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オリヴァー・ヘヴィサイド(Oliver Heaviside, 1850年5月18日- 1925年2月3日)はイギリスの電気技師、物理学者、数学者である。幼時に猩紅熱に罹患したことにより難聴となった。正規の大学教育を受けず研究機関にも所属せず独学で研究を行った。電気回路におけるインピーダンスの概念の導入、複素数の導入や「ヘヴィサイドの演算子法」といった物理数学の方法を開発した。マクスウェル方程式を今日一般的に使われている形に書き直し、マクスウェル方程式が理解され応用される道を大きく切り拓いた。彼が定式化した電信方程式は、彼の斬新な方法論に精通した者が当時ほとんどいなかったため長い間注目されなかったが、その後商業的に重要なものとなった。ヘヴィサイドは、その生涯の大半を科学の権威と対立しながらも、電気通信、数学、科学のあり方を変えた[2]。

幼少期

オリヴァー・ヘヴィサイドはロンドンのカムデンタウン、キングスストリート55番地[3](現在のプレンダーストリート)に、木彫版職人のトーマス・ヘヴィサイドと家庭教師レイチェル・エリザベス・ヘヴィサイド(旧姓ウェスト)の4人兄弟の末っ子として生まれた。背が低く赤毛の子供で、幼少時に猩紅熱を患い、聴覚障害が残った。彼が13歳のとき、一家はわずかな蓄えでカムデンのよりよい場所に引っ越すことができ、カムデンハウスグラマースクールに通うことになった。彼は成績優秀で、1865年の教員大学試験では538人中5位になった。16歳になって両親は彼を学校に通わせられなかったため、1年間独学で勉強を続けたのちそれ以上の正式な教育は受けなかった[4]:51。

ヘヴィサイドの義伯父(母の姉の夫)はチャールズ・ホイートストン卿であった。彼は電信と電磁気学の世界的な専門家であり、1830年代半ばに初めて商業的に成功した電信の共同発明者であった。ホイートストンは甥の教育に強い関心を寄せた[5]。

1869年、ヘヴィサイドはデンマークのフレゼリシアにあったデンマーク=ノルウェー=イギリス電信会社で電信技士として働き始めた。デンマーク=ノルウェー=イギリス電信会社は1870年、グレート・ノーザン・電信会社に吸収合併され、ヘヴィサイドはニューカッスル・アポン・タインに配置換えとなった[6]。ヘヴィサイドはイギリスの請負業者を起用してニューカッスルからデンマークまで海底ケーブルを敷設した。彼はまもなく主任電信技士になった。ヘヴィサイドは働きながら勉強を続け、22歳までに権威ある科学雑誌であるフィロソフィカル・マガジンに「検流計と電池で任意の抵抗を測定するためのホイートストンブリッジの最適な配置(The Best Arrangement of Wheatstone's Bridge for measuring a Given Resistance with a Given Galvanometer and Battery)」という論文を発表し[7]、この論文のコピーを贈ったウィリアム・トムソン卿や、ジェームズ・クラーク・マクスウェルなど、この代数的問題を解決しようとして失敗した物理学者から好意的なコメントを得た。彼は、電信ケーブルの二重通信方式に関する論文を発表した際、二重通信方式を非現実的なものとして否定していた郵便局電信システムの技師長R・S・カリーをからかった[8]。兄アーサーが電信技術者協会(英語版)に入会を申請して「電信会社の社員などはいらない」と断られたと知ったヘヴィサイドは憤慨し、会長を務めていたトムソンに推薦を依頼して自身の入会を認めさせた[4]:60[6]。

1873年、ヘヴィサイドはマクスウェルの著書『電気磁気論』に出会った。場所はニューカッスルの図書館(en:Literary and Philosophical Society of Newcastle upon Tyne)とみられる[9]。老年になってヘヴィサイドはこう回想した:

私が若かった頃、マクスウェルの偉大な論文を初めて見たときのことを覚えている。(中略)私はこの本が偉大で、より偉大で、最も偉大(it was great, greater, and greatest)で、その力には計り知れない可能性があることを知った。(中略)私はこの本をマスターしようと決心し、作業に取り掛かった。私はとても無知だった。数学的解析の知識はまったくなく(学校の代数学と三角法しか習っておらず、ほとんど忘れていた)、そのため私の作業は私のためだけにあるようなものだった。可能な限り理解できるようになるまで、数年かかった。その後、私はマクスウェルの論文を脇に置き、自分の道を歩んだ。そして、私はもっと早く前進した。[10]
私が私なりのマクスウェルの解釈に従って福音を宣べ伝えていることはご理解いただけるだろう。[10]

1874年、電信技士の仕事を辞め、両親のいるロンドンの実家へ戻った。1869年から1874年までの6年間がヘヴィサイドの74年間の人生において唯一、被雇用者として働いた期間であった。

彼は自宅で研究を続け、伝送線路理論(「電信者の方程式」としても知られる)の発展に貢献した。ヘヴィサイドは、電信線路に一様に分布したインダクタンスが減衰と歪みの両方を減少させ、インダクタンスが十分大きく絶縁抵抗が高すぎなければ、すべての周波数の電流の伝搬速度が等しくなり、回路は無歪みになることを数学的に示した[11]。ヘヴィサイドの方程式は、電信の実装を発展させるのに役立った。

中年期

1882年から1902年まで、3年間を除いて、彼は電気技士の地位向上を望む業界紙『The Electrician(英語版)』に定期的に記事を寄稿し、年間40ポンドの報酬を得ていた。この報酬は生活していくには到底足りなかったが、彼は慎ましい生活を送り、最もやりたいことをやっていたのである。1883年から1887年にかけて、これらの記事は月平均2-3本であり、これらの記事は後に彼の著作本『電磁気理論(Electromagnetic Theory)』と『電気論文(Electrical Papers)』の大部分を形成することになる[4]:71。

1880年、ヘヴィサイドは電信伝送線路における表皮効果を研究した。同年、彼はイギリスで同軸ケーブルの特許を取得した。1884年、彼はマクスウェルの数学的解析を、当初の煩雑な形式(それらは四元数で定義されていた)から、現代のベクトル形式に再構成し、それによって当初の20の方程式を、現在マクスウェルの方程式として知られている4つの微分方程式に直した。再定式化された4つのマクスウェル方程式は、電荷(静的と動的の両方)、磁場、そして両者の関係すなわち電磁場の性質を記述している。

1880年から1887年にかけて、ヘヴィサイドは微分演算子(ブールは

ペイントンにあるヘヴィサイドに献呈されたブルー・プラーク
3 km
トーキー
ペイントン
ニュートン・アボット
晩年期のヘヴィサイドの居住地(デヴォン州トーベイ周辺)

1896年春、フィッツジェラルドとジョン・ペリーは、以前に王立協会からの援助申し出を断っていたヘヴィサイドを説得し、年間120ポンドの下賜年金を受け取ることを承諾させた[14]。

伝えられるところによると、数人の非常に傑出した熱心な科学者が、デヴォンシャーの隠れ家の学者(ヘヴィサイド)を訪問すると脅かし、――というより、彼の隠れ家の周りを何週間も行進するぞと脅かし、提示されたとおりの年金を受け取ると言わざるを得なくしたということである。 — 社説にて、The Electrician, vol.37, p.331, July 10, 1896[3]

1896年暮れ、父親の死去に伴いヘヴィサイドは生涯で初めて1人で生活するようになった。

1897年、ペイントンからニュートン・アボット(英語版)に移住した。

1902年、ヘヴィサイドは、ブリタニカ百科事典への寄稿において、現在電離層のケネリー・ヘヴィサイド層として知られているものの存在を提唱した[21] 。ヘヴィサイドの提案には、電波信号が地球の曲率半径で伝達される手段も含まれていた。電離層の存在は1923年に確認された。ヘヴィサイドの予測は、マックス・プランクの放射理論と相まって、1932年にカール・ジャンスキーが 電波天文学を発展させるまでの30年間、太陽や他の天体からの電波を検出しようとする試みを躊躇させた。

1905年にはゲッティンゲン大学から名誉博士号を授与された[22]。

1908年、ニュートン・アボットからトーキーへ移住した。

1912年、ノーベル物理学賞の最終候補の1人となった[23]。ヘヴィサイドは1904年から1914年にかけて7回ノミネートされている。推薦人はヴィルヘルム・ビヤークネスであった[24]。

1922年、その年に創設されたファラデー・メダルの最初の受賞者となった[25]。彼はメダル受取のためにロンドンに赴くことを拒否し、彼がそれを受け取るまでに数ヶ月の交渉とデヴォンの自宅への3回の訪問が必要だった[26]。

1924年、自宅の屋根の修理のために梯子に登って職人に指示を出しているときに11フィート (3.4 m)の高さから落下し、背中を地面に強打した。そのときの怪我が原因で、1925年1月4日に意識不明の状態で発見され、2月3日、デヴォン州トーキーの養老院で亡くなった[27]。

ヘヴィサイドはペイントン墓地の東の角近くに、父トーマス・ヘヴィサイドと母レイチェル・エリザベス・ヘヴィサイドとともに埋葬された。 墓石は2005年に匿名の篤志家の手によって修復された[28]。

人物

ヘヴィサイドのポートレート。
1890年初頭のベリーポメロイ城(英語版)におけるヘヴィサイド家の家族写真。後列右から3人目、柱のそばにいる人物がオリヴァー。中央には母レイチェルと父トーマスが立っている。後列一番右が兄アーサー、彼の前でひざまずいているのがもう一人の兄チャールズ。

隠棲して研究していたものの肉体的には活動的な人物で、壮年期は自身の体の状態に関心を持つスポーツマンであった。19世紀末に英国中で大流行した自転車のとりこになった[6]:202。

晩年、彼の行動はかなりエキセントリックになった。同僚のB・A・ベーレンドによると、彼は世捨て人のようになり人に会うのを嫌ったため、『The Electrician』の論文の原稿を食料品店に届け、編集者がそれを受け取ったという[29]。

トーキー時代に隣家に住んでいた小説家ビヴァリー・ニコルズ(英語版)によれば、ヘヴィサイドは正装することは稀で、普段は淡いピンク色の絹のガウン(キモノ)をまとい、爪はいつも丹念にマニキュアされていてピンク色に輝いていたという。彼には、突然ピンクのガウンをきつく締め付けたり、きらきら輝く指を頭上ではじいたりする癖があった。不機嫌なときは、部屋の中のほとんどの家具を移動し、それらを大きな大理石に置き換えた[6]:14。

1922年頃から、自身の名前のアナグラム"O! He is a very Devil"(おお、彼こそは悪魔なり)を手紙に署名するようになった。また、自分の名前の後に「W.O.R.M.」という称号をつけて署名していた。世間が彼のことを毛虫(worm)のごとく嫌っているという自虐的な意味にもとれるが、その真意は不明である[6]:524。

彼はユニテリアンではあったが、信心深くはなかった。彼は、至高の存在に信仰を置く人々を馬鹿にしていたとさえ言われている[30]。

ヘヴィサイドはアルバート・アインシュタインの相対性理論に反対の立場であった。数学者のハワード・イーブスは、ヘヴィサイドは「当時、アインシュタインを批判した唯一の一流の物理学者であったが、相対性理論に対する彼の批判はしばしば不条理に近いものであった」とコメントしている[31]。

没後

ヘヴィサイド・メモリアル・プロジェクト

除幕式の様子
ヘヴィサイドの墓。修復プロジェクト前後の比較。

2014年7月、英国ニューカッスル大学の学者とニューカッスル電磁気学インタレストグループは、この墓碑を一般の寄付によって完全に修復することを目指し、ヘヴィサイド・メモリアル・プロジェクトを設立した[32][33][34]。修復された墓碑は2014年8月30日、ヘヴィサイドの遠戚であるアラン・ヘザーによって除幕された。除幕式には、トーベイ市長、トーベイ選出の国会議員、科学博物館の元学芸員(英国工学技術学会を代表)、トーベイ市民協会会長、ニューカッスル大学の代表が出席した[35]。

工学技術学会による顕彰

ヘヴィサイドの論文コレクションはロンドンにある英国工学技術学会(IET)アーカイブセンターに所蔵されている[36]。このコレクションは、数式や計算を記したノート、主に電信に関する注釈付き冊子、原稿メモ、論文草稿、書簡、「電磁気理論」の論文草稿から構成されている。デジタル化されたベル電話研究所所長オリヴァー・E・バックリーによる1950年のヘヴィサイドへの追悼音声は、IETアーカイブバイオグラフィーからアクセスできる[37]。

1908年、英国工学技術学会の前身である電気技術者協会(IEE)はオリヴァー・ヘヴィサイドに(彼は以前に会費未納で学会追放されていたにも関わらず)名誉会員資格を授与し[38][26]、1922年にはその年に創設されたファラデー・メダルを授与した。1950年に電気技術者協会の委員会はヘヴィサイド・プレミアム賞を設立した。「委員会はオリヴァー・ヘヴィサイドを何らかの形で永続的に記念することを検討し、その結果、毎年、採択された最も優れた数学論文に対して10ポンドのヘヴィサイド・プレミアム賞を授与することを推奨する」[39]

エポニム

月のクレーター「ヘヴィサイド」[40]と、火星のクレーター「ヘヴィサイド」[41]は、オリヴァー・ヘヴィサイドにちなむ。

発明と発見

ヘヴィサイドはベクトル演算とベクトル解析を発展させ、提唱した[42]。マクスウェルの電磁気学の式は20変数20方程式から成っていた。ヘヴィサイドはベクトル解析の回転と発散演算子を用いて、この20方程式のうち12方程式を4変数(

ジャーナル

  • Heaviside, Oliver (1885, 1886, and 1887). “Electromagnetic induction and its propagation”. The Electrician. 
  • Heaviside, Oliver (1888,1889). “Electromagnetic waves, the propagation of potential, and the electromagnetic effects of a moving charge”. The Electrician. 
  • Heaviside, Oliver (1892). “Electromagnetic waves, the propagation of potential, and the electromagnetic effects of a moving charge”. Electrical Papers: 490-499. doi:10.1017/CBO9780511983139.017. 
  • Heaviside, Oliver (1889). “On the Electromagnetic Effects due to the Motion of Electrification through a Dielectric”. Phil.Mag.S. 5 27: 324-339. doi:10.1080/14786448908628362. 
  • Heaviside, Oliver. “On the Forces, Stresses, and Fluxes of Energy in the Electromagnetic Field”. Phil.Trans.Royal Soc. A 183: 423-480. doi:10.1098/rsta.1892.0011. 
  • Heaviside, Oliver (1892). “On Operators in Physical Mathematics Part I”. Proc. Roy. Soc. 52: 504-529. 
  • Heaviside, Oliver (1893). “On Operators in Physical Mathematics Part II”. Proc. Roy. Soc. 54: 105-143. 
  • Heaviside, Oliver. “A gravitational and electromagnetic analogy”. The Electrician 31: 281-282 (part I),359 (part II). 
    • Electromagnetic Theory(1893) vol I, Chapter 4 Appendix B (pp. 455-466)に再録されている。

本

  • Heaviside, Oliver (1925). Electrical Papers. Boston: Copley 
  • Heaviside, Oliver (1950). Electromagnetic theory: The complete & unabridged edition of volume 1, 2 and 3. New York: Dover 
  • 1970 Heaviside, Oliver (1970). Electrical Papers. Chelsea Publishing Company. ISBN 978-0-8284-0235-4 
  • Heaviside, Oliver (1971). Electromagnetic theory: Including an account of Heaviside's unpublished notes for a fourth volume and with a foreword by Edmund Whittaker". Chelsea Publishing Company. ISBN 0-8284-0237-X 
  • Heaviside, Oliver (2003). Electrical Papers (2 ed.). American Mathematical Society. ISBN 978-0-8218-34633 

参照

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  2. ↑ Hunt, B. J. (2012). “Oliver Heaviside: A first-rate oddity”. Physics Today 65 (11): 48–54. Bibcode:2012PhT....65k..48H. doi:10.1063/PT.3.1788.
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  4. 1 2 3 Bruce J. Hunt (1994). The Maxwellians. Cornell University Press. ISBN 978-0-8014-8234-2
  5. ↑ Sarkar, T. K.; Mailloux, Robert; Oliner, Arthur A.; Salazar-Palma, M.; Sengupta, Dipak L. (2006). History of Wireless. John Wiley & Sons. p. 230. ISBN 978-0-471-78301-5
  6. 1 2 3 4 5 6 7 8 ナーイン, ポール・J.『オリヴァー・ヘヴィサイド ヴィクトリア朝における電気の天才 ― その時代と業績と生涯』高野善永、海鳴社、2012年4月10日(原著2002年10月9日)、559頁。 ISBN 978-4-87525-288-7。
  7. ↑ Heaviside, Oliver (1873). “The Best Arrangement of Wheatstone's Bridge for measuring a Given Resistance with a Given Galvanometer and Battery”. Phil.Mag. 45.
  8. ↑ Heaviside, Oliver (1873). “Duplex telegraphy(Part I)”. Phil.Mag. 45.
    『実用電信術』のたいそう実践的な著者は「この方式(二重通信)には実用上の利点は認められない」と述べている。また別の著者の記述を信じるならば、彼(Dr.Gintl)の方式は「単なる頭の体操に過ぎないと見なすべきである——その手法は確かに美しいが、実用的な観点からは全く無用である」という。("According to the very practical author of Practical Telegraphy, "this system has not been found of practical advantage";and if we may believe another writer, the systems he describes "must be looked upon as little more than feats of intellectual gymnastics--very beautiful in their way, but quite useless in a practical point of view")
  9. ↑ Christopher, Spargo; Yakovlev, Alex (2015). Oliver Heaviside: Newcastle upon Tyne 1868-1874. Institution of Engineering and Technology.
  10. 1 2 Sarkar, T. K.; Mailloux, Robert; Oliner, Arthur A.; Salazar-Palma, M.; Sengupta, Dipak L. (30 January 2006). History of Wireless. John Wiley & Sons. p. 232. ISBN 978-0-471-78301-5
  11. ↑  この記述にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む:  Kempe, Harry Robert (1911). “Telephone”. In Chisholm, Hugh (ed.). Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 26 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 554.
  12. ↑ “VIII. On operations in physical mathematics. Part II”. Proceedings of the Royal Society of London 54 (326–330): 105–143. (1894). doi:10.1098/rspl.1893.0059.
  13. ↑ Heaviside, "Mathematics and the Age of the Earth" in Electromagnetic Theory vol. 2
  14. 1 2 3 Hunt, Bruce J. (2004). “Heaviside, Oliver”. Oxford Dictionary of National Biography. Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/33796. (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
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  16. ↑ Wiener, Norbert (1959). The Tempter. New York: Random House
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  41. ↑ “MARS – Heaviside”. Gazetteer of Planetary Nomenclature. 2025年5月6日閲覧。
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  50. 1 2 Ronald R. Kline (1992). Steinmetz: Engineer and Socialist. Johns Hopkins University Press. p. 337. ISBN 0801842980
  51. ↑ Steinmetz, Charles Proteus; Frederick, Bedell (1894). Transactions of the American Institute of Electrical Engineers. 11. pp. 768-776ヘヴィサイド自身も著作(Electromagnetic Theory, vol. 1, p. 439, 1893.)の中で"The term 'reactance' was lately proposed in France, and seems to me to be a practical word.(「リアクタンス」という言葉は最近フランスで提唱されたもので、実用的な言葉だと感じる。)"と述べている。

参考文献

  • ナーイン, ポール・J.『オリヴァー・ヘヴィサイド ヴィクトリア朝における電気の天才 ― その時代と業績と生涯』高野善永、海鳴社、2012年4月10日(原著2002年10月9日)、559頁。 ISBN 978-4-87525-288-7。 

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