藤原範光とは? わかりやすく解説

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藤原範光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/03 05:26 UTC 版)

 
藤原 範光
『義烈百人一首』より
時代 平安時代末期 - 鎌倉時代初期
生誕 仁平4年(1154年
死没 建暦3年4月5日1213年4月27日
官位 従二位権中納言
主君 二条天皇六条天皇高倉天皇安徳天皇後鳥羽天皇土御門天皇
氏族 藤原南家貞嗣
父母 父:藤原範兼、母:源俊重娘
兄弟 範光、俊季、範重、重季、経顕、経兼、範子兼子藤原伊実室、藤原家輔室
藤原範季娘・季子
範朝、範基、光実、成範、清範、承性、円憲、静範、遍兼、能範、兼子、憲子、光子、督典侍、藤原輔平室
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藤原 範光(ふじわら の のりみつ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公家藤原南家貞嗣流、刑部卿藤原範兼の子。官位従二位権中納言

経歴

幼くして父・範兼を失い、姉妹の範子兼子と共に、父の弟で父の養子となっていた範季に引き取られ育てられる。

文章得業生から対策に及第し、掃部助蔵人式部丞を経て、後白河院政期中期の承安2年(1172年叙爵。翌承安3年(1173年紀伊守に任ぜられると、安元元年(1175年下野守治承4年(1180年)重任、寿永2年(1183年)紀伊守と10年以上に亘って受領を務めた。

のち、式部少輔・勘解由次官と京官を務めるが、建久8年(1197年丹後守に任ぜられ再び受領を務めている。

後鳥羽院政期に入ると院判官代を務める一方、建久9年(1198年右少弁正治元年(1199年従四位下、正治2年(1200年)従四位上次いで正四位下・権右中弁に叙任されるなど急速に昇進。建仁元年(1201年)には従三位に叙せられ公卿に列した。また、東宮・守成親王(のち順徳天皇)の家司となり、自身の押小路烏丸第を東宮御所にしている[1]

その後も、建仁2年(1202年正三位参議、建仁3年(1203年権中納言と昇進を続けるが、元久元年(1204年)権中納言を辞任した。元久2年(1205年従二位に至るが、この頃は後鳥羽院政に絶大な影響力を持ち、公卿以上の昇進も範光の一声で決まるという状態であったという[2]

建永2年(1207年)3月15日に出家建暦3年(1213年)4月5日に薨去享年60。

官歴

公卿補任』による。

系譜

  • 父:藤原範兼
  • 母:式部大輔源俊重の娘
  • 妻:藤原季子 - 藤原範季の娘
    • 長男:藤原範朝(1178-1237)
    • 二男:藤原範基(1179-1226)
  • 生母不明の子女
    • 男子:藤原光実
    • 男子:藤原成範
    • 男子:藤原清範
    • 男子:承性
    • 男子:円憲
    • 男子:静範
    • 男子:遍兼
    • 男子:能範
    • 女子:藤原兼子 - 外山良平室、高実母
    • 女子:藤原憲子(岡前別当三位)(?-1239) - 源有雅室、順徳天皇乳母
    • 女子:藤原光子(按察使典侍坊門局)
    • 女子:督典侍 - 久我通光室、通忠母
    • 女子:藤原輔平室、教信母

憲子(岡前別当三位)の母については、徳大寺実定の妻であった上西門院女房備後に比定する説がある[3]。順徳天皇の皇子である彦成王・善統親王の母は範光の娘とされているが、同天皇に典侍として仕えた娘は2名(按察使典侍坊門局光子・督典侍)知られていて文献によっても母親の比定が異なるため、藤原範光女項目にて纏めて解説する。

脚注

  1. ^ 川上[2019: 38]
  2. ^ 「公卿以上昇進偏依範光卿一言歟、可悲々々」(『三長記』元久3年4月4日条)
  3. ^ 角田文衞「岡前別当三位」『王朝の明暗 平安時代史の研究 第二冊』東京堂出版、1977年、599ー604頁。 

出典




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