親鸞の「承元の法難」に対する怒りと後鳥羽上皇批判
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「承元の法難」の記事における「親鸞の「承元の法難」に対する怒りと後鳥羽上皇批判」の解説
この時処断された者の一人である親鸞は著作『顕浄土真実教行証文類』の中で、「後鳥羽上皇とその臣下が法を無視し義に反する行いをした」と批判している。これについて、今井雅晴は、親鸞の批判の背景として、次のように考えている。 後鳥羽上皇が、女官に出家を決意させた安楽等の専修念仏者に怒りを募らせ恨むあまり、公卿を集めた会議や、儒学者への法的見解の諮問といった、当時の一般的な刑罰決定の手順を一切省略し「法に背き義に反する」院宣を下した事。 “死刑が決定した場合死刑囚に対し死刑宣告のみを行い実際には死刑を執行しない”という、当時の朝廷が受け継いでいた伝統的な慣例を独断で破り実際に死刑を執行してしまった事。 等の後鳥羽上皇の行いに対し、公的に用いるべき権力を私的に利用したとして、反感を募らせていたとみられる。親鸞の批判は、法律や慣習を無視し、権力を傘に超法規的な手段で私怨を晴らそうとした後鳥羽上皇の人間性や、それに伴う処断の違法性を糾弾する内容であり、朝廷が念仏弾圧を行ったから等という類の批判ではない。以上が今井雅晴の説である。
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