ベーメ【Jakob Böhme】
ベーメ
ベーメ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 02:09 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ベーメ(Böhme)はドイツ語圏の姓。
- ヤーコプ・ベーメ - ドイツの神秘主義者(1575年 - 1624年)。
- オスカー・ベーメ - ドイツの作曲家・トランペット奏者(1870年 - 没年不詳)。
- フランツ・ベーメ - オーストリアおよびドイツ第三帝国の軍人(1885年 - 1947年)。
- クルト・ベーメ - ドイツのバス歌手(1908年 - 1989年)。
- ホルスト・ベーメ - ナチス・ドイツの将校(1909年‐1945年)。
- ゲルノート・ベーメ - ドイツの哲学者(1937年 - )。
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ベーメ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 02:18 UTC 版)
堂々とした体躯の40歳近い見た目をしているが、本人曰く30歳を出たところらしい。商人であり「馬買いのベーメ」と名乗っている。スークとはヴァロを競った間柄でユルドゥスにて偶然出会う。馬を見る目は確かで何度も帝都ブハラに馬を売りに行っている。自分なりの哲学を持っており「いじましく我慢することなんてない」と何かにつけ言っている。スーク曰く明解で磊落に見える生き方が、他人に知れぬ何かをどこかに埋めてきたのかもしれないと憶測させるなど翳りを感じさせる一面もある。スークの馬の目利きを気に入りブハラに同行することをすすめるが、向う途中にエルロラの義賊団に襲われ、スークをおいて逃げる。その後ブハラにてスークと再会し、捕縛されたエルロラを救出するのに加担する。陰の年四つ明けた辺りスークとモラドウに入り蛮族相手にかき入れ時の大取引をする予定だったが、ヴァロの修理の為一旦シルヴァヤに身を置き、数百デケムもの壁をなすガンゴドリ山脈を越えることを諦めザオへ向かった。スークに対し無駄金は一切出さないという根っからの商売気質である。海賊からカウイーク達を守る為騎士団を作りたいというスークに対し、初めは反対するが領主の娘を口説くよう提案する。その後、騎士団を作る為ガーハ、アムル、ハーワン、バフラーム、ズルワン、ホラサン、ムナワトを集めた。海賊討伐の際は、酒の大樽でいかだを作る等発想が大胆でスーク達を驚かせた。ザオスラを援護しろと命令された正騎士団に対し、乗り気ではなかったスークにザオスラに行くよう助言する。その際、五十騎の鋼馬を用意した。隊から抜けるが、後にスークと再会した際、カウイーク達を守りたければラータと結婚しろと強いた。スークに対し皮肉な発言が多いが気にかけており「奇妙な運を持っている」「世界を切り開くような業が身についている」と発言した。自身と正反対の商売をするジャフナ(商いに長けた種族)を嫌っている。シルヴァヤでラータの鋼馬を買いつけに向かった。クルガンの竜ではスークと別れてから何の楽しみも無いと金儲けに精を出し帝国で五、六番の金持ちになっており、寺院のような品格のある屋敷に住んでいる。自身の屋敷をアシャワンに仮の本陣としてしつらえさせていた。スークに対し欲しいだけの金をやると「クルガンの竜」を作る軍資金を援助した。だがシムシャーラがブハラに戻ってきた為、ラムナガルの宿に移った。好きな女が出来、嫁を貰うとスークに立ち会わせた相手がフィオであった。だがスークとフィオの以前の関係を知ると、どうか何とかしてやってくれとスークに託し身を引いた。スークがダナバザルに招かれた秘儀に向かう旨を伝えるとすさまじい剣幕で酷く反対する。屋敷に住んだが家をあけてばかりらしく召使いが不平を鳴らしていた。
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「ベーメ」の例文・使い方・用例・文例
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