シグナトゥーラ・レールム脱稿後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 23:42 UTC 版)
「ヤーコプ・ベーメ」の記事における「シグナトゥーラ・レールム脱稿後」の解説
ベーメは和解の協約を守り新たな著述を行うことはなかったが、その後もリヒターは教会での攻撃をやめず、市民を扇動してベーメを悩ませた。また友人たちもベーメに『アウローラ』に続く著作を所望した。ベーメは自らの沈黙が平和をもたらさぬことを知るばかりでなく、この期間に熟成していった自己の思想をむしろ積極的に表明することが自己の使命であると確信するに到る。1618年ベーメは著述を再開し、1624年の死に至るまでの6年間に『シグナトゥーラ・レールム』を始めとする幾つかの大著、および付随する小論文、信奉者宛の書簡などで、精力的にその思想を語りだしていく。
※この「シグナトゥーラ・レールム脱稿後」の解説は、「ヤーコプ・ベーメ」の解説の一部です。
「シグナトゥーラ・レールム脱稿後」を含む「ヤーコプ・ベーメ」の記事については、「ヤーコプ・ベーメ」の概要を参照ください。
- シグナトゥーラ・レールム脱稿後のページへのリンク