第3波 (1919年1月–)
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「スペインかぜ」の記事における「第3波 (1919年1月–)」の解説
1919年1月、第2波による被害を免れたオーストラリアを第3波が襲い、1万2,000人以上の死者を出した。その後、第3波は1月中にアメリカ・ニューヨークとフランス・パリに到達し、4月にはパリで講和会議に出席していたアメリカ大統領ウィルソンも罹患した。第3波は欧米では1919年の夏(北半球)までに収束したが、その後はチリやペルーなど南半球の国々や日本に遅れて到達し、各地で大きな被害を出した。日本は1920年1月から2月にかけて第3波に襲われた。 第3波の毒性は第1波よりも高く、第2波よりも低かった。アメリカにおける1919年1月–6月のスペインかぜによる死者は数万人であった。スペインにおける1919年のインフルエンザによる死者は約2万1,000人であった(1918年の死者は約14万7,000人)。
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