プロイセン衆議院第一党に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/07 07:25 UTC 版)
「ドイツ進歩党」の記事における「プロイセン衆議院第一党に」の解説
1861年11月19日の第一次選挙、12月6日の第二次選挙の結果、衆議院の構成は進歩党109議席、旧派自由主義95議席、中央左派(Linkes zentrum)52議席、カトリック派54議席、ポーランド派23議席、保守党(ドイツ語版)15議席という結果になり、衆議院の重心は著しく左翼に傾いた。 旧派自由主義や中央左派は政府に不信感を持ちながらも政府との妥協を目指したのに対し、進歩党は非妥協的であり、1858年以来国政を指導している自由主義保守派から構成される「新時代(ドイツ語版)」内閣が掲げていた公約を彼らが理解している意味で実施するよう要求した。すなわち自由主義的法治国家の樹立、立憲政治の確立、小ドイツ主義に基づくドイツ連邦改革である。「新時代」内閣は、一方においては陸相アルブレヒト・フォン・ローンや軍事内局局長エドヴィン・フォン・マントイフェルら政府内反動派によって、他方では進歩党など議会反政府派によって睨まれて身動きが取れなくなった。
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