プロイセン軍の反撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/14 03:24 UTC 版)
連合軍の思い込みとは異なり、プロイセン軍はゴータから見えないところまで退くと撤退をやめてそこに留まっていた。ザイドリッツは後方に展開していたカッテ連隊を呼び寄せて部隊を再編すると、気の利いた兵を1人選んでゴータに送り込んだ。そして頃合を見計らって再びゴータに向けて打って出た。 午後2時ごろ、ゴータ東方に再びプロイセン軍が姿を現した。このときザイドリッツは竜騎兵のうち半分に下馬、徒歩行軍を命じた。通常、戦列は3列であるところを1列にして横に長く広げ、ゴータから見ると、歩騎合同の数千から1万の軍勢がゴータに向かって進撃してくるかのように見えた。このころゴータではザイドリッツの送り込んだ兵が脱走兵を装って連合軍の陣中に駆け込み、大王率いるプロイセン全軍がゴータに向かって進撃中と吹聴してまわっていた。 ゆっくりと近づいて来る竜騎兵の戦列を背景に、先行するプロイセン軍の軽騎兵はゴータ市外に展開している連合軍の軽歩騎兵に対して果敢に斬り込んでいった。実際のところ、連合軍に対して本当に攻撃を仕掛けている部隊はこの軽騎兵1個連隊のみであって、連合軍は数的にずっと優越していたのだが、連合軍の将兵はザイドリッツの計略に惑わされて浮足立っていた。 フリーデンシュタイン宮殿で晩餐会の席に収まっていた連合軍の指揮官たちもまた、計略にすっかり乗せられて、プロイセン軍本隊の強襲と思い込んでしまった。彼らは大慌てで宮殿を辞し、市内の擲弾兵々団に市外に展開して戦闘隊形を組むよう命じた。しかしその間にもプロイセン軍の軽騎兵はゴータ市に迫り、まもなく連合軍軽歩兵の抵抗を突破してゴータ市内に突入した。軽騎兵数百騎が騎乗のまま市街に乗り込んで、敵兵を斬り倒し、あるいはめぼしい者を馬上から掴み捕えて引き摺り回しながら市内を駆け巡った。連合軍の指揮官たちは間一髪で敵軽騎兵の手を逃れ、馬に飛び乗ってゴータ市を脱出した。 午後4時ごろ、すっかり混乱に陥ってしまった連合軍は抵抗を断念し、ゴータから退去してメヒターシュテットに撤退していった。テンペルホフの七年戦争史ではスービーズが去り際にソーブ・キ・プを宣言する混乱ぶりであったと書いている。 午後6時、ザイドリッツらプロイセン軍将校はフリーデンシュタイン宮殿を訪れ、先ほどまで連合軍の指揮官たちが占めていた席に座り、彼らに供されようとしていた晩餐にあずかることができた。 「一方の軍の将軍たちを迎えて始まった晩餐会が、対するもう一方の軍の将軍たちを送って終わる珍事」(アルヒェンホルツ)
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