ゴータの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/14 03:24 UTC 版)
ゴータの戦いは、七年戦争ロスバッハ戦役中の1757年9月19日にドイツ中部テューリンゲン地方の都市ゴータを争って行われた戦闘である。フランス軍とオーストリア軍からなる連合軍がプロイセン軍を排除して一度ゴータを占領したが、プロイセン軍の指揮官ザイトリッツは騎兵のみのわずかな兵力ながら計略を用いた反撃を行って数倍の兵力を有していた連合軍を撤退させ、プロイセン軍がゴータを再占領した。
注釈
- ^ ゴータはザクセン=ゴータ=アルテンブルク公領の首府だった。ゴータ公領は政治的にはプロイセン寄りの領邦だったが軍事的にはほとんど無力で、連合軍の進駐に抵抗できる存在ではなかった。本戦役中、ゴータを占領する勢力は目まぐるしく入れ替わり、そのたびにゴータ公は対応に努めている。ゴータ公妃ルイーゼ・ドロテアは賢妃として知られ、大王も尊敬の念を表すのを惜しまなかった。ゴータの戦いの前後にも書簡を送っており、ゴータ公領を守れないことを遺憾としている。
- ^ sauve qui peut(「各個に逃れよ」)。フランスの慣用的な命令ないし宣言。
出典
- 1 ゴータの戦いとは
- 2 ゴータの戦いの概要
- 3 結果
- 4 参考資料
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