連合軍のゴータ占領
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9月18日夜、連合軍の両指揮官は主力部隊の一部を抽出してアイゼナハを進発し、アイゼナハとゴータの中間に位置するメヒターシュテットで前衛部隊と合流した。連合軍はこの前衛部隊にアイゼナハからの援兵を合わせてゴータ攻略部隊を編成した。その陣容は、オーストリア軍およびフランス軍の軽騎兵部隊、ラウドン指揮するオーストリア軍軽歩兵部隊、オーストリア軍の重騎兵の一部、フランス軍の擲弾兵々団と若干の砲兵からなり、総兵力は1万余となった。これは連合軍の総兵力の半分以下の勢力であったが、ヒルトブルクハウゼンとスービーズの両指揮官以下首脳陣が参加し、その多くはそのままゴータに移動するつもりで各々の付属人員や荷馬車も帯同していた。 9月19日早朝、連合軍は2手に分かれてゴータへ進軍した。連合軍は南北からゴータ市を包み込むことであわよくばプロイセン軍を包囲しようとしたが、ザイドリッツは連合軍の進軍を察知して敵の接近前にゴータ市を出撃した。ゴータにおいてザイドリッツが指揮していた部隊は、騎兵のみ、2個竜騎兵連隊と1個軽騎兵連隊で、うちカッテ竜騎兵連隊は連合軍のゴータ迂回を警戒して東方エアフルト方面に展開しており、ゴータ市にあったのは2個騎兵連隊のみだった。午前9時ごろ、ゴータ北面においてオーストリア軍の軽騎兵とプロイセン軍のセーケイ軽騎兵連隊との間で小競り合いが始まり、軽騎兵同士の交戦は午後近くまで続いたが、やがてプロイセン軍の軽騎兵は圧倒されて友軍のマイニッケ竜騎兵連隊の援護のもと後退した。 正午ごろ、プロイセン軍は抗戦するのをやめて東に撤退していった。連合軍はゴータに入城すると軽歩騎兵部隊をゴータ市東側城外に展開させ、擲弾兵々団を市内に入れた。連合軍はゴータの速やかな占領に満足してプロイセン軍の撤退を疑わず、深い追撃もしなかった。スービーズ以下連合軍の指揮官たちはゴータ公フリードリヒ3世を訪問してフリーデンシュタイン宮殿に集い、兵站将校はゴータ市からの物資調達の作業を始め、ヒルトブルクハウゼンは重騎兵を連れて本隊の残るアイゼナハに帰ってしまった。
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