連合軍のパリ進軍決定
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ド・ゴールは8月20日にアルジェを発ってノルマンディーに到着し、アイゼンハワー大将に臨時政府指揮下にあるフランス第2機甲師団をパリに進軍させるよう要請した。アイゼンハワーは要請を受け入れたものの、時期については明言しなかった。8月21日にド・ゴールはアイゼンハワーに書簡を送り、連合軍のパリ派兵がなければ臨時政府の権限で第2機甲師団をパリに向かわせると声明した。さらに第2機甲師団のフィリップ・ルクレール少将は独断でパリ派兵を決断し、アメリカ軍には秘密で準備を開始した。 翌8月22日、内地フランス軍(フランス語版、英語版)が派遣したガロワ少佐の連絡隊が、アメリカ陸軍のオマール・ブラッドレー大将がいる第12軍集団(英語版)司令部に到着し、次の内容を告げた。 パリの大部分とすべての橋は内地フランス軍(フランス語版、英語版)の支配下にある パリ防衛ドイツ軍の主力は退却した ドイツ軍が休戦に応じたのは退却のため コルティッツ大将は形式的に戦闘したら降伏することになっている 休戦期限は8月23日正午までになっているが、両軍とも尊重する意思はなく、ドイツ軍は休戦期間終了後にパリを破壊するおそれがある。 しかし、この情報は事実とは異なっており、ド・ゴールの側近の工作による完全な嘘であった。ド・ゴールとの交渉でパリ進軍もやむなしと考えはじめたアイゼンハワー大将と第12軍集団のブラッドレー大将はこの情報を信じ、第12軍集団の指揮下にあるアメリカ軍第1軍第5軍団を向かわせる事にした。第5軍団にはフランス第2機甲師団も所属しており、そのための配置であった。イギリス軍のバーナード・モントゴメリー大将にも部隊派遣要請があったが、指揮権の問題でアイゼンハワーと確執があったモントゴメリーはこれを拒否した。
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