連合軍のホーランジア反攻計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/03 06:15 UTC 版)
「パラオ大空襲」の記事における「連合軍のホーランジア反攻計画」の解説
太平洋方面の連合軍は、チェスター・ニミッツ海軍大将を司令官とする太平洋正面からの経路と、ダグラス・マッカーサー陸軍大将を司令官とするニューギニア伝いの経路の、2方向から対日反攻作戦を実施していた。1944年2月下旬、マッカーサー大将は次の飛び石作戦による攻略目標としてニューギニア北岸のホーランジア(現在のジャヤプラ)およびアイタペ(en)を選び、4月15日(その後22日に延期)を上陸日と計画した。ホーランジアは既存の連合軍拠点から遠いため、ニミッツ配下の高速空母機動部隊であるアメリカ海軍第58任務部隊(司令官:マーク・ミッチャー中将)が航空支援に協力することとなった。 第58任務部隊には上陸当日の航空支援に加え、パラオ周辺に集結中の日本海軍の艦隊を事前に排除する任務が与えられた。アメリカ軍は、パラオ所在の日本艦隊がホーランジア攻略作戦にとって深刻な脅威になると考えていた。このパラオ攻撃は、日本海軍の水上戦力及び航空戦力の撃滅そのものも目的としていた。第58任務部隊によるパラオおよびヤップ島・ウォレアイ環礁・ウルシー環礁への空襲作戦は、ディセクレイト・ワン作戦(英語: Operation Desecrate One)と命名された。作戦参加兵力は、大型空母5隻(エンタープライズ、バンカー・ヒル、ホーネット、ヨークタウン、レキシントン)・小型空母6隻(モンテレー、ベロー・ウッド、カウペンス、カボット、プリンストン)を中心に、戦艦6隻(アイオワ、ニュージャージー、ノースカロライナ、サウスダコタ、マサチューセッツ、アラバマ)などの強力な護衛部隊が随伴することになった。なお、上陸直接援護のためのホーランジア空襲はディセクレイト・ツー作戦(英語: Operation Desecrate Two)と命名されている。 また本作戦の支作戦としてインド洋でイギリス海軍によりコックピット作戦が行われた。
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