ロボジッツの戦いとは? わかりやすく解説

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ロボジッツの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/12 01:41 UTC 版)

ロボジッツの戦いドイツ語: Schlacht bei Lobositz)は、1756年10月1日プロイセン軍とオーストリア軍との間で行われた、七年戦争における会戦である。プロイセン軍が勝利した。




注釈

  1. ^ 伊藤政之助はこの戦いと山崎の戦いとの類似性を指摘し、ロボジッツ西の高地は天王山に相当するとした[4]
  2. ^ この間オーストリア軍の前衛騎兵は撃たれっぱなしであった。彼らは何度か陣形を変え、細かく移動したが、砲弾を浴びる状況に変化は無かった。ジョミニ曰く、「定評あるブロウネ元帥ともあろう人が、沼沢の小川によって自身の戦列と切り離された彼の騎兵を、何の目的もなしにそのような長時間に渡って破壊的砲火に曝し続けていたとは考えられない。彼の配置は、ラミイの戦いにおけるヴィルロワのそれと多くの共通点があった」[13]。ラミイの戦いでヴィルロワはブロウネ同様、湿地を形成していた小川を障害にして待ち受ける凹型の戦列を敷いたが、川に守られていなかった右翼をマールバラ公ジョン・チャーチルに突かれて敗れた。
  3. ^ 第10胸甲騎兵連隊(1個中隊)、同第13連隊(5個)と第2連隊の2個中隊、および第5竜騎兵連隊の8個中隊[15]。ただし資料により異同あり。

出典

  1. ^ Engelmann, 1997, p.45。諸記あるが今これに従う。
  2. ^ Asprey, 1986, p.430。23日とするものもあるが、今これに従う。
  3. ^ Asprey, 1986, p.430。
  4. ^ 伊藤(1939), p.829 - 830。
  5. ^ Lloyd, 1781(2007), p.5。
  6. ^ Duffy, 1985, p.102。
  7. ^ a b Asprey, 1986, p.432。
  8. ^ a b c Asprey, 1986, p.434。
  9. ^ Duffy, 1985, p.103。ただし、ブロウネ軍は真っすぐ左岸の北上を目指していたというのが当時の見方であった。一方でロイドは、ブロウネが高地の占領をしなかった理由として、シュメッタウが言ったように、衝突なしでのエルベ川の渡河を企図していたためであろうと言う。ブロウネはもともと左岸を北上することによってプロイセン軍を誘引しておいて、遭遇をぎりぎりで避けて夜間のうちに右岸に渡河し北上することを目指していたが、プロイセン軍の予想を越えた急進撃により結果として戦闘に応じざるを得なくなったのである。この見方はラシー支隊の行動とは噛み合わないが、ブロウネが山の占領を怠っていた訳をそれなりに説明する。いずれにせよオーストリア軍のロボジッツ到着とプロイセン軍のヴェレミン到着の差はわずか数時間であった。ブロウネとオーストリア軍本隊のロボジッツへの到着は夜遅くまでかかり、かつその間にプロイセン軍が山向こうに到着してしまっていたので、ブロウネはごく遅くまで敵が目前にいることを知ることが出来なかった(から実際には回避しようがなかった)と大王は書いている。Lloyd, 1781 (2007), p.25。Holcroft, 1789 (2008), p.79 - 80。
  10. ^ はじめ2列であったが、高地を取るために正面幅を広げなければならず、後列を繰り入れて一列となった。
  11. ^ a b ブレーカー(2000), p.134。
  12. ^ Duffy, 1985, p.103 - 104。
  13. ^ Jomini, 1865 (2008), p.80
  14. ^ Asprey, 1986, p.433。Duffyは7時ごろとするが、今これに従う。
  15. ^ Engelmann, 1997, p.39・45。
  16. ^ a b c d Duffy, 1985, p.105。
  17. ^ Duffy, 1996, p.165。
  18. ^ a b ブレーカー(2000), p.135。
  19. ^ a b Duffy, 1996, p.251。
  20. ^ a b c d e ブレーカー(2000), p.136。
  21. ^ Archenholz, 1843 (2007), p.19。ブレーカーの本にも同じ表現がある。
  22. ^ Duffy, 1985, p.107。
  23. ^ Holcroft, 1789 (2008), p.84 - 85。
  24. ^ a b Archenholz, 1843 (2007), p.20。
  25. ^ a b c d Lloyd, 1781 (2007), p.24 - 25。
  26. ^ Showalter, 1996, p.139 - 140。
  27. ^ Duffy, 1988, p.263。
  28. ^ Duffy, 1977, p.172。
  29. ^ 伊藤(1939), p.830。
  30. ^ Showalter, 1996, p.143。
  31. ^ Duffy, 1985, p.108。またAsprey, 1986, p.434。
  32. ^ ブレーカー(2000), p.137 - 140。
  33. ^ これは上の数字と矛盾するが、そのままとする。ブレーカー(2000), p.139。
  34. ^ ブレーカー(2000), p.140。


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