砲戦とプロイセン騎兵の突撃
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「ロボジッツの戦い」の記事における「砲戦とプロイセン騎兵の突撃」の解説
この戦いでは、戦場が昼になるまで霧で覆われ続けたことから、両軍の指揮官はともに相手の様子を確認することができないまま会戦に突入した。大王はホモルカ高地から東の平地を偵察したが、ロボジッツもモレーレン川も霧で様子が窺えず、敵の配置はもとより、敵がいるのかどうかも不明で、ロボジッツの南に展開しているオーストリア軍の前衛騎兵だけを見ることができた。 プロイセン軍が平地に出てきたことを知ったオーストリア軍の砲列は、視界不良のままあらかじめ指向していた山の出口を中心にして砲撃を開始した。オーストリア軍の砲兵は弱体だったオーストリア継承戦争時代から著しく強化されており、プロイセン軍の将兵に衝撃を与えた。フェルディナント公子指揮下の旅団長クヴァートは砲弾の破片が当たって戦死し、歩兵戦列中央を指揮していたクライスト(ドイツ語版)も重傷を負った。大王は射程外への避難を勧められたが断った。プロイセン軍も霧に隠されていない前衛騎兵に砲弾を浴びせ、指揮官のラディカティを戦死させた。部隊の指揮はオドンネル(英語版)が引き継いだ。 このとき、プロイセン軍の兵士ウルリヒ・ブレーカー(英語版)は、会戦の際には脱走の機会があると考えて隙を窺っていたが、実際には「無数の鉄のかたまりがうなりをあげてわれわれの頭上を通り過ぎて行く」最前線に整列させられてどこにも逃げ場が無かった。周りに落ちてくる砲弾が土や芝生を空高く跳ね飛ばし、命中しようものなら「われわれはまるで麦藁のごとく隊列をバラバラにされた」ライスという名の兵士の場合は、右隣に立っていたクルムホルツという戦友が砲弾で頭を吹き飛ばされてその血液、脳や頭蓋骨の破片を顔面に浴びた。ライスのマスケットも砲弾に引っかかってもぎ取らればらばらに壊されたが、本人は奇跡的に無傷で済んだ。 ブロウネが川を利用した布陣を選択して高地の占領を見送ったことはプロイセン軍に、オーストリア軍は会戦を回避して右岸に渡ってしまったのではないかという疑いを持たせていた。いま、オーストリア軍の軽歩兵のみが戦闘を行って戦列歩兵が出てこない状況はその疑いを強くするものであった。大王は、軽歩兵や、かろうじて視認できる騎兵部隊が、実際には前衛であったところを後衛として我が方の行動遅延に努めているのではないかと考えたが、確信が持てず決断を下せなかった。ブロウネの方も積極的に行動しなかったので両軍とも数時間に渡って部隊を動かさず、ロボシュ山の争奪戦を除いてお互いひたすら砲戦に終始した。 午前11時ごろ、大王は事態打開のため騎兵戦列よりキョウ指揮下に16個中隊を抽出し、ロボジッツの砲兵を避けて南から突撃し敵騎兵を駆逐せよと命じた。前列を形成する胸甲騎兵がまずホモルカ高地から霧の中に突っ込んで行くと、まもなくモレーレン川の背後にオーストリア軍の主力戦列が並んでいるのを発見、ズローヴィッツ村からの発砲を避けて北に転進したところを右手からオーストリア軍の前衛騎兵に攻撃された。後列の第5竜騎兵連隊がすかさず加勢して敵騎兵を撃退したが、その騎兵が退避するのと同時にオーストリア軍は砲弾を浴びせ、プロイセン騎兵はたまらず撤退してホモルカ高地の麓まで戻った。 この戦闘で大王は交戦中の敵が単なる後衛であるとの考えが誤りであることを知った。このとき大王は、戻って来たある近衛騎兵が頭部に傷を負ったまま再び敵のもとに向かおうとしているのを見つけ、呼びとめると自らのハンカチを取り出し、その傷口を塞がせるために副官に持って行かせた。受け取った近衛は礼を述べ、「このハンカチはもう戻らないでしょうが、私はこれから敵のところに戻ってその分の償いをさせてやります」と言い残して去った。一方で大王は歩兵部隊に、後退する騎兵がその戦列の背後まで逃げようとするときは通過を許さずにこれを撃ち殺せと命じた。 キョウの部隊を元に戻した後、大王は敵の攻撃を予想して騎兵軍団に歩兵戦列の前に出るよう命令を出した。ところがその命令が届かないうちに、まもなくゲスラーとその騎兵約1万騎は総突撃を開始してしまった。オーストリア継承戦争の戦訓により七年戦争時代のプロイセン騎兵は並はずれて攻撃的な運用姿勢を持っていて、前列の突撃が頓挫したら後列部隊も他の命令を待たず即座に突撃せよと定められており、この突撃はゲスラーが指導に愚直に従った結果であった。大王は彼らが突撃していくのを見て「何たること!私の騎兵は何をしている!彼らは2度目の突撃を仕掛けているが、誰もそんな命令は出していないぞ!」と叫んだ。 突撃したプロイセン騎兵のうち、ズローヴィッツ村の方向に突撃した部隊は、湿地に嵌り川で足が止まっているところに銃砲火による迎撃を受け、多大の損失を被って撃退された。モレーレン川の北側を突撃した部隊は、ロボジッツからの攻撃にもかまわず突撃を続けて敵前衛騎兵を敗走させ、そのままグレンツァーの戦列に突入を図った。ブロウネは主戦列とロボジッツの町が分断されかかっているのを見てただちに左翼の騎兵を北に動かし、対抗突撃を行わせたので、これによって北側のプロイセン騎兵の突撃も敗走に変わり、一部の者はそのまま正面を突破して戦場を離脱した。 撃退されたプロイセン騎兵は再び歩兵戦列のところまで後退した。「あの壮絶な光景をぜひ見てほしかった。なんと、自分のご主人を鐙に引っかけたまま走っている馬もいれば、自分のはらわたを地面に引きずっている馬もいたのである」と、後方から様子を見ていたブレーカーは後に書いた。近衛騎兵連隊を指揮したブルーメンタールは、ズローヴィッツ村からの砲撃を受けて馬から投げ落とされ、敵騎兵のただ中に取り残されて散々に斬られた。兵が彼を救いだしたが、首に致命傷を負っていて助からなかった。
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