プロイセン軍によるスカリッツの攻略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/16 00:34 UTC 版)
「スカリッツの戦い」の記事における「プロイセン軍によるスカリッツの攻略」の解説
オーストリア軍による統制に欠けた攻撃の後、シュタインメッツ大将の第10師団は中央陣地の占領に成功した。また指揮下の第9師団はレオポルト大公の左翼を包囲し、アウパ川前面の高地を占領し、その2個連隊は唯一の橋に向かって前進していた。オーストリア軍の残存兵力では、陣地の保持が不可能となる。ラミンク中将の部隊は離れ過ぎており、トゥーン・ウント・ホーエンシュタイン伯(ドイツ語版)カール中将率いる第2軍団も約20キロの遠方にあった。シュタインメッツ大将が自ら第47連隊を指揮して駅を攻撃し、現地に踏み込んだのは午後2時頃である。オーストリア軍後衛は、アウパ川の後方に控えた第8軍団に属する予備砲兵部隊の支援を受け、フラークナーン旅団およびクライサーン旅団の残存兵力が離脱するまで、辛うじて退路を守り切った。14時15分、レオポルト大公は全部隊の退却を命じる。これは急速に、恐慌的な逃走につながった。スカリッツの道路は荷車、大砲と兵士で完全に埋まる。兵の多くはプロイセン軍から逃れようとアウパ川を泳ぎ切り、他の者は燃えている家屋に隠れた。午後3時までにプロイセン軍は約3000名のオーストリア兵を捕えたが、そのうち1287名は無傷であった。川を越えた追撃は行われていない。
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