プロイセン王太子妃としてとは? わかりやすく解説

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プロイセン王太子妃として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 06:41 UTC 版)

ヴィクトリア (ドイツ皇后)」の記事における「プロイセン王太子妃として」の解説

ドイツザクセン=コーブルク=ゴータ公国出身の父アルバートは、ドイツ統一の夢をかなえるべく、長女プロイセンフリードリヒ王子愛称フリッツ)に嫁がせた。1851年ロンドン万国博覧会訪れたフリッツを、ヴィクトリア女王達は温かく歓迎したヴィッキー当時10歳とはいえ溌剌とした楽しい女の子で、相手の気をそらさず、当時19歳であったフリッツをよく笑わせたという。それから2人親しくなり、文通をするようになった1855年に再びロンドン訪れたフリッツから、ヴィッキー結婚申し込みをされた。彼女はフリードリヒ王子恋しており、すぐに承諾した1857年ヴィッキーフリッツ婚約し1858年1月25日結婚したベルリン王宮にて盛大な晩餐会行いプロイセン貴族たちに温かく迎えられた。 しかし、プロイセン首相ビスマルクは、この結婚イギリスからプロイセンドイツ領邦統一に関して口を挟んでくるのではないかと、幼少より聡明父親影響受けた自由主義者ヴィッキー警戒した当時プロイセン貴族統治する君主国複合してできた国家であり、非常に保守的であった居城古めかしく浴室もなく冬になるとやたらと暖房使い室内30度を越える暑さになったヴィクトリア女王手紙嘆いている。ヴィッキーフリッツ5月になるとポツダム郊外バーベルスベルク小宮殿(ドイツ語版)に移転したが、この宮殿決し住み心地良いものではなく100年ほど前に建築され新宮殿ドイツ語版)を修繕して居城とした。 住み心地良い居城手に入れても、口さがない王室貴族たちのヴィッキー対す妬みは変わらなかった。ヴィッキーフリッツのかつての家庭教師であるシェルバッハ教授や、科学者画家歴史学者文学者たちと新しサークル作ったフリッツヴィッキー知識欲理解したが、他の王室人間はますますヴィッキー非難し離れていった。 ヴィッキー三男ジギスムントと四男ヴァルデマール二人の息子幼くして亡くした。このことから病院作り力を入れるようになるヴィッキー結婚前フローレンス・ナイチンゲール出会い衛生学病院管理について学んでいた。1870年ヴィッキー戦場が近いハンブルク古城移住し私財投入しそこを病院作り変えたフリッツはこれを非常に喜び、またプロイセン人々徐々に彼女の努力認めだした。後に「ヴィクトリア・ハウス」という看護学校設立した。「ヴィクトリア・ハウス」は看護婦養成だけでなく、貧し人々への衛生指導にもあたっている。1875年ヴィッキーベルリンの「家庭と健康を守る会」の指導者になった。ヴィッキーフリッツ設立した幼稚園託児所兼ねており、夫婦共働き家庭にとって非常に役立つものとなった女子教育の向上にもヴィッキー尽力したヴィッキー嫁いだ当時プロイセン女子教育不必要である、という考え方主流であったが、ヴィッキー女子高教育のために3つの学校創設した校長イギリス人女性採用したこともあり、この学校人々から非難対象となった当時プロイセンでは男性人前体操をすることが見苦しいことだと考えられており、教育科目から体育外されていた。ところがヴィッキー学校では、女性屋外体操をするということ対しヴィッキー好意的であった社交界人間までもが激怒してしまった。それでもヴィッキー諦めことなく女子幼稚園経営家政学教え多く女性教師誕生し、後にスコットランドイギリスから留学する生徒出てくるようになったフリッツ長年にわたるヴィッキー慈善事業成果を非常に喜び、やがてプロイセン人々ヴィッキー歓迎するようになったシュレースヴィヒ=ホルシュタイン巡ってデンマークプロイセン争ったときには義父ヴィルヘルム1世デンマーク停戦するように促した停戦促したのには理由がある。ヴィッキー実家であるイギリス王室ではヴィッキーの弟アルバート・エドワード王太子の妃にデンマークアレクサンドラ王女王太子妃迎えていた。ヴィクトリア女王の娘ヴィッキー嫁ぎ先義理の娘アレクサンドラ実家シュレースヴィヒ=ホルシュタイン巡って争っていたのだったヴィクトリア女王はこのことに心を痛めていた。

※この「プロイセン王太子妃として」の解説は、「ヴィクトリア (ドイツ皇后)」の解説の一部です。
「プロイセン王太子妃として」を含む「ヴィクトリア (ドイツ皇后)」の記事については、「ヴィクトリア (ドイツ皇后)」の概要を参照ください。

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