プロイセン法典論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:34 UTC 版)
旧民法は説明的な法文の啓蒙教科書法典であり、強い批判を受けたが、1794年公布・施行の巨大法典プロイセン一般ラント法は、近世自然法の影響を受けた啓蒙教科書法典の最たるものであった。 これはボアッソナード君の草案に依ったことがありますが、法典は何にか教科書に近い様な体裁を有って居って定義が余り多過ぎ又物の区別杯(など)が多過ぎるのみならず、動(やや)もすれば法典の明文にもって例が引いてある。どうも斯う云ふことは余り体裁が宜しくない様に思はれる。成程社会の幼稚なる時には…必要であらうが今日の社会には…不必要である。即ち普漏西(プロイセン)の「ランドレヒト」と云ふものは至って浩瀚(こうかん)でありますが、其中には我々の今日の眼から見ては無くても宜しいことが多い。 — 梅謙次郎「法典ニ関スル述懐」1893年(明治26年) 例えば、刀の売買契約は、特に反対の事実が認められない限り鞘が含まれることを日本民法典は「従物は主物の処分に従う」(現87条2項)と表現し、何が「従物」かは抽象的にのみ示すのに対し(1項)、同法典は約70条にわたり例示し、 プロイセン一般ラント法1部2章58条 通常の鶏、ガチョウ、鴨、鳩および七面鳥は、農地の従物に組み入れられる。 というようなものだが、それ以外の有益な鳥類は含まれないのかという疑問が生じることは避けられない。 そのほかにも、母親には授乳の義務があることを法文で明記するような、滑稽なほどカズイスティック(個別具体的)な規定を置いていた。これは、啓蒙主義、および君主による法の定立の独占という絶対主義の観点から、特別法や学問による法典の補充を否定して、法典が判例・学説・教科書の役割を全部担おうとしたものだが、その結果条文が極度に肥大化し(世界最多の1万7千610条)、専門家にも一般人にも使いづらいものになって破綻。「法律的に拙劣なもの」と酷評される有様であった(エンゲルス)。 もっとも、夫にも性的忠実義務を課し、その姦通が離婚原因となることを認め、妻の行為能力も一般的に制限しないなど進歩的側面も認められる。 1部1章24条 両性の権利は、特別の法律または法的に有効な契約によって例外が認められない限り、相互に平等である。 仏民法も具体的・説明的な啓蒙教科書法典だが、簡潔明瞭な名文と称賛される(スタンダール)。旧民法はそのような長所を継承できなかった。 プロイセン法典は、周知期間の不足や、過度の啓蒙主義がフランス革命の余波による社会不安を助長する危険性が非難されて論争が起こり、公布を一時延期されたが、国際情勢の変化(第二次ポーランド分割)により部分的修正を経て公布・施行。しかし王国の一部でしか通用しなかった。
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