プロイセン軍へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/10 06:32 UTC 版)
「アウグスト・フォン・グナイゼナウ」の記事における「プロイセン軍へ」の解説
1786年、米国から帰国したグナイゼナウは単調なバイロイト・アンスバッハ辺境伯のところを離れ、フリードリヒ大王のプロイセン軍に志願、歩兵中尉に任官する。1793年から1794年の対ポーランド戦でも活躍した。1796年、グナイゼナウはカロリーネ・フォン・コトヴィッツと結婚した。 1806年、プロイセンは第四次対仏大同盟を組んで対ナポレオン戦争に参加、グナイゼナウはホーエンローエ侯の参謀となって従軍した。同年10月14日、プロイセン軍はイエナ・アウエルシュタットの戦いの二回の会戦に大敗した。グナイゼナウは追撃戦の中で侯爵に代わり指揮をとり、11月6日、最後まで抵抗を続けた末にマクデブルクでフランス軍に降伏した。捕虜交換で解放されたグナイゼナウは、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の逃れたケーニヒスベルクへ向かい、レストック将軍の部下となった。グナイゼナウは、ナポレオン軍に包囲されたバルト海のコルベルク要塞に海路派遣され、ティルジットの和約が結ばれる1807年7月まで同地を守り抜いた。この功績が認められ、グナイゼナウは中佐に昇進、さらにプロイセン軍最高の栄誉であるプール・ル・メリット勲章が授与された。
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