参謀幕僚制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 01:16 UTC 版)
モルトケが作り出したプロイセン参謀本部は、伝統的なフランス式軍制と比べて非常に有効であることが証明された。これは主に、プロイセン参謀本部は以前のプロイセン軍の作戦を研究し、過去の失敗から学ぶために作られたためである。また、広大な範囲に広がった大きな陣形を統御するモルトケの能力によって組織機構は大いに強化された。参謀総長は事実上のプロイセン陸軍総司令官であり、国防大臣から独立し、国王の命令のみに服した。フランスの参謀本部は、他の欧州諸国の軍と同様に、部隊指揮官の補佐役の集団より若干ましという程度のものであった。こうした無秩序な状態は、フランス軍指揮官が自らの部隊を制御する能力を阻害していた。また、戦時に師団や軍団を編成していたフランス軍では、高級士官達は自身が指揮する部隊やそれを支える幕僚のことが一切わからず、戦いながら把握していかなければならなかった。 それに加えて、プロイセンの軍事教育制度はフランス式よりも優れていた。プロイセンの参謀将校は、自ら率先し、独立して考えるよう訓練されていた。それこそが正にモルトケの求める参謀であった。一方、フランス軍では、教育制度と昇進制度において、知性の発達を窒息させるような欠点を持っていた。軍事史家Dallas Irvineによれば、その制度は「陸軍の頭脳能力を参謀や高級将校から排除する上で、ほぼ完璧な有効性を持っていた。フランスの軍事政策における数々の弁解不能な欠陥は、すべてその制度の結果として生じたトップの思考力の欠如に帰する事が出来る。」
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