参謀本部への転出と陸軍士官学校事件とは? わかりやすく解説

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参謀本部への転出と陸軍士官学校事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 10:10 UTC 版)

辻政信」の記事における「参謀本部への転出と陸軍士官学校事件」の解説

詳細は「陸軍士官学校事件」を参照 編成および動員担当する第一課において当時課長務めていたのは東條英機大佐であった。辻は1933年昭和8年8月大尉進級し12月参謀本部部員となり、第一部第三課転じた1934年9月になると、士官学校幹事副校長)に転じていた東條誘い受けて陸士本科生徒中隊長任命された。この人事は栄転であるモスクワ駐在武官職を断って決断であり、また老大尉が多い生徒中隊長陸大卒のいわゆる天保銭組務めるのは前例がなかった。澄宮(後の三笠宮崇仁親王)が陸士本科入学する予定であったことが関係しているとみられる実際に澄宮は辻が中隊長務め第一中隊配属された。辻は演習で自ら生徒とともに泥まみれになるなど指導力を入れたため生徒間での人気は非常に高かった当時士官学校1932年昭和7年)に発生した五・一五事件影響もあって、軍部による国家革新目指す国家社会主義思想広まっていた。そのリーダーであった第二中隊武藤与一候補生は、皇道派属す陸大村中孝次大尉磯部浅一一等主計とも接触しており、さらに陸士第一中隊佐藤勝候補生にも声をかけた。佐藤から報告受けた辻は生徒隊長北野憲造報告した上で佐藤には内偵命じた佐藤武藤数名候補生磯部浅一西田税村中孝次らを訪問ししばらくして村中大尉らは青年将校士官学校生徒によるクーデター計画打ち明けた。この情報得た辻は参謀本部片倉衷少佐および憲兵司令部塚本大尉通報した。さらに辻は塚本とともに陸軍次官橋本虎之助中将官舎へとおもむき容疑者摘発強く主張した憲兵隊村中孝次大尉磯部浅一一等主計片岡太郎中尉らを逮捕し佐藤武藤候補生らも軍法会議かけられることになった。辻がスパイとして利用した佐藤含め陸士生徒5名が退校処分をうけ、青年将校らには不起訴停職処分くだされた。辻には重禁錮30日処分くだされその後水戸歩兵第2連隊となった村中らのクーデター計画具体性乏しいものであったことが後の憲兵隊による調査判明した村中磯部はこの事件軍務局長永田鉄山と辻らによるでっちあげであると主張し、辻、片倉塚本誣告罪告訴した。さらに2人事件経緯書いた粛軍に関する意見書」を配布したことで免官される。この陸軍士官学校事件真崎甚三郎大将教育総監罷免相沢事件経て統制派皇道派対立頂点達し二・二六事件発生につながることになった

※この「参謀本部への転出と陸軍士官学校事件」の解説は、「辻政信」の解説の一部です。
「参謀本部への転出と陸軍士官学校事件」を含む「辻政信」の記事については、「辻政信」の概要を参照ください。

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