南部辰丙とは? わかりやすく解説

南部辰丙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/16 23:24 UTC 版)

南部辰丙

南部 辰丙(なんぶ しんぺい、旧字体南部 辰丙󠄁1856年5月13日安政3年4月10日[1]) - 1931年昭和6年)2月21日[1])は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

石川県出身。1875年(明治8年)2月、陸軍士官学校に入学。1877年(明治10年)12月、歩兵少尉に任官し陸士(旧1期)を卒業した。

1896年(明治29年)12月、歩兵第42連隊長に就任し[2]1897年(明治30年)10月、東部都督部参謀に異動。1898年(明治31年)10月、歩兵第6連隊長となり、1899年(明治32年)同年2月、歩兵大佐に昇進。日露戦争に出征。1904年(明治37年)7月、陸軍少将に進級し歩兵第5旅団長に移り、奉天会戦などに参戦。1905年(明治38年)6月、陸士校長に転じた。

1911年(明治44年)9月、陸軍中将に進み下関要塞司令官に着任。1912年(明治45年)2月、憲兵司令官に就任し、1915年(大正4年)2月、第2師団長に親補された。1916年(大正5年)8月に待命、1917年(大正6年)4月、予備役に編入となった[3]1919年(大正8年)4月1日、後備役に編入[4]

栄典

位階
勲章等

親族

脚注

  1. ^ a b c 『日本陸軍将官辞典』544頁。
  2. ^ 『官報』第4052号、明治30年1月4日。『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』50頁では、1895年5月に就任としているが、歩兵42連隊の創設は1896年である。
  3. ^ 『官報』第1415号、大正6年4月23日。
  4. ^ 『官報』第2002号、大正8年4月9日。
  5. ^ 『官報』第2607号「叙任及辞令」1892年3月12日。
  6. ^ 『官報』第3818号「叙任及辞令」1896年3月25日。
  7. ^ 『官報』第4729号「叙任及辞令」1899年4月11日。
  8. ^ 『官報』第6261号「叙任及辞令」1904年5月17日。
  9. ^ 『官報』第7796号「叙任及辞令」1909年6月22日。
  10. ^ 『官報』第584号「叙任及辞令」1914年7月11日。
  11. ^ 『官報』第1947号「叙任及辞令」1889年12月23日。
  12. ^ 『官報』第2076号「叙任及辞令」1890年6月3日。
  13. ^ 『官報』第3578号「叙任及辞令」1895年6月5日。
  14. ^ 『官報』第3693号「叙任及辞令」1895年10月19日。
  15. ^ 『官報』第3824号・付録「辞令」1896年4月1日。
  16. ^ 『官報』第5525号「叙任及辞令」1901年12月2日。
  17. ^ 『官報』第6573号「叙任及辞令」1905年5月31日。
  18. ^ 『官報』号外、「叙任及辞令」1906年12月30日。
  19. ^ 『官報』第1194号「叙任及辞令」1916年7月24日。
  20. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  21. ^ 人事興信所 1928, ナ169頁.

参考文献





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