陸軍参謀長就任
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「アブドゥル・ハリス・ナスティオン」の記事における「陸軍参謀長就任」の解説
1950年、ナスティオンは陸軍参謀長に就任した。そして、新たに発足した国軍 (Angkatan Bersenjatan Republik Iindonesia, 略称 ABRI) の司令官として、スディルマンに代わりシマトゥパンが任命された。 1952年、ナスティオンとシマトゥパンは国軍の合理化と再編に取りかかった。二人は、独立戦争時に膨れ上がった組織と人員を整理することで、より小さくとも近代的でプロフェッショナルな軍隊に作り替えることを意図していた。しかし、すぐに党派的な利害が絡んできた。オランダ植民地政府時代に訓練を受けたナスティオンとシマトゥパンは、同様にオランダ植民地軍で訓練された将兵を再編、統合する一方で、日本軍に訓練された軍人を解雇しようと考えていた。これに反対の声を上げたのは、バンバン・スペノ (Bambang Supeno) が率いる日本軍政時代に訓練を受けた部隊である。軍の再編合理化案を実行するにあたってナスティオンとシマトゥパンが頼りにしていたのはウィロポ首相と国防相ハメンクブウォノ9世だったが、スペノは国会 (DPR) の野党陣営内に支持者を得た。当時の国会議員たちは、話題の国軍合理化に不同意を口にしはじめた。ナスティオンとシマトゥパンは、文民による軍事問題への口出しを嫌った。
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