2回目の反攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 05:15 UTC 版)
「2014年ウクライナでの親ロシア派騒乱」の記事における「2回目の反攻」の解説
「:en:First Battle of Mariupol」も参照 5月2日早朝にスラビャンスクでの政府軍による新たな反撃攻勢の結果、政府側のヘリコプター2機が墜落するなど双方に負傷者が出た。結果的に、ウクライナ軍はあらゆる分離主義の検問所および都市半分の支配権を得た。オレクサンドル・トゥルチノフ大統領は、多くの分離主義者が「死亡し、負傷し、逮捕された」と述べた。翌朝、クラマトルスクとアンドリイフカを標的に政府側の反攻が続いた。深刻な戦闘の結果、政府軍によってクラマトルスクの占拠されていた建物は奪還され、最低でも10人の分離主義者がアンドリイフカで死亡したと伝えられている。 ドネツィク州で戦闘が続く中、スラビャンスクで拘束されていた国際監視団は市長によって全員が5月3日に釈放された。同日、ドネツィク市の抗議者が地方政府の民間事業所とSBUビルの議長を襲撃して占拠し、オデッサでの衝突に対する報復行為として窓を壊すなど荒らしまわった クラマトルスクは5月4日に武装勢力に再占拠され、スラビャンスクでは5月5日に新たな戦闘が行われてウクライナ兵4人が死亡した。マリウポリでは5月5日から激しい戦闘が行われた。占拠された市庁舎には「OSCEは出て行け」「OSCEお前らは不正行為をしている」とのポスターが貼られた。反攻の一環で5月7日に政府軍は建物を奪還したが、その後そこを去ったため、分離主義者に即座の再占拠を許してしまった。 ドネツィクにある占拠された建物は5月6日までに堅牢に要塞化され、ドネツィク国際空港はすべての交通を閉鎖した。地域のテレビ放送局は、ライフル銃を持つ偽装した約30人の反政府勢力によって占拠されたままだった。ロシアの装甲輸送車が土嚢とタイヤで作られたバリケードと共に建物外に駐車されており、州庁舎でも同様の存在が観察された。 5月7日、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は分離主義者に対して、同11日に予定されているドネツクの地位に関するの住民投票の延期を求めた。ドネツク人民共和国の指導者デニス・プーシリンは、住民投票を遅らせるつもりはないと述べた。ウクライナの首相代行アルセニー・ヤツェニュクはプーチンの「熱意」ある言葉に言及し、ドネツィクでの反攻を継続すると宣言した。 5月9日、マリウポリで政府軍が市内にある警察署への攻撃を開始し、この大規模な衝突で少なくとも20人が死亡した。ウクライナ政府は「武装団」「テロリスト」と表現したが、一部の現地住民は彼らが非武装の抗議者だったと述べた。
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