2回目の接近
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/14 15:05 UTC 版)
「セントジョンズ砦包囲戦」の記事における「2回目の接近」の解説
9月10日夜、モントゴメリーは再度1,000名を率いて出立し、船で最初の上陸地点まで戻った。暗闇と湿地のために混乱する中で兵士の中には仲間と逸れる者もいた。彼らが再度仲間に出会ったとき、互いを敵と勘違いして恐慌に陥った。湿地の中に丁度30分いただけで、部隊は上陸点まで戻った。船のところに留まっていたモントゴメリーは再度部隊を進発させた。このときも前衛部隊が少数のインディアンと住人に出会い、再び恐慌に陥った。「敵」の2人が殺されたが、部隊はまたしても列を乱して上陸点まで後退し、その指揮官であるルドルファス・リッツェマも止めることができなかった。 大陸軍の参謀が集まって次の行動を議論しているときに、イギリスの艦船ロイヤルサベージが接近しつつあるという報せが入った。このことで部隊は川を遡ってイル・オ・ノワまで退却を始めることになり、参謀達はあやうく取り残されるところだった。 3回目の試みは9月13日に行われることになった。しかし悪天候のために16日まで延期された。スカイラー将軍はこのときまでにさらに病気が重くなり、タイコンデロガ砦まで後退する必要があると考えていた。彼はその日に出発し、侵略軍の全指揮権をモントゴメリーに渡した。スカイラーだけが発病したのではなかった。悪天候、湿地、マラリアの蔓延したイル・オ・ノワの事情で兵士達に過労を強い、さらに多くの者が発病した。その悪い知らせは良い情報で和らげられた。250名の援軍がイル・オ・ノワに到着したのである。すなわち、セス・ワーナーの指揮するグリーンマウンテンボーイズ中隊と、ティモシー・ベデル大佐の指揮するニューハンプシャーの中隊だった。
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