2回目の侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 08:27 UTC 版)
清軍は狙いをチャイントンからミャンマー北東部のバーモに変えて2回目の侵攻を開始した。ミャンマー王シンビューシンは強大な清軍との正面衝突を避け、バーモに兵力を置かず、バーモのすぐ南の、カウントン(英語版)(現在のカチン州バーモ県(英語版)バーモ町(英語版)の集落)に兵力を置いた、このため清軍はバーモを簡単に占領した。数日後シンビューシンはカウントンの部隊を増強すべく新たに軍勢を派遣した、さらに、雲南省からの新たな援軍に備えるため、もう一つの軍勢はイラワディ川に沿って北上させた。清軍はカウントンのミャンマー軍が増強されていると見て、全軍をカウントン目指して出撃させた。ミャンマー側の援軍はイラワディ川を北上中に、清国軍がバーモをもぬけの空にして出撃した事を知り、急行してバーモを奪還した。こうして清国軍はバーモとカウントンのミャンマー軍から挟撃される形となり、甚大な損失を出して退却した。さらに退却する途中ミッチーナに集結していたミャンマー軍からも攻撃されほぼ全滅に近い大敗を喫した。大勝したミャンマー軍は逆に雲南に攻め込み8つのシャン族土侯を占領した。
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