2回目の上陸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 09:27 UTC 版)
増援を受けたケッペルとホジソンは再度の上陸を計画した。島の守備を細かく精査した後、やはりポール・アンドロでの上陸が最も容易であるという結論が出た。今度は西のソーゾン(英語版)と北のサント=フォワと2つのフェイント攻撃を計画した。 4月22日、ジョン・クロフォード率いる上陸軍は再びポール・アンドロに上陸、やはり激しい抵抗を受け、ほどなくして手詰まりとなった。一方、ハミルトン・ランバート准将率いるサント=フォワへのフェイント攻撃は意外にも抵抗を受けなかった。フランスは島の北部の断崖がイギリス軍の侵攻を防ぐと考えていたのだった。しかし、ランバートは登れると考え、それを実行して成功した。近くのフランス軍の反撃を受けたが、艦隊の援護もあって撃退している。 北部での攻撃が成功したので、クロフォードは自らの攻勢を放棄、船に乗って北部に向かってランバートに加勢した。イギリス軍の指揮官はさらなる増援を送って橋頭堡を確保、夜までにイギリス軍全軍が上陸した。予め準備した信号に従い、フランス軍と住民はル・パレの城塞に篭城、島の残りの部分を諦めた。
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