ハリケーンの発生から消滅まで
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「ハリケーン・カトリーナ」の記事における「ハリケーンの発生から消滅まで」の解説
2005年8月23日、バハマ南東で熱帯低気圧が発生。小アンティル諸島方面から西進してきた10番目の熱帯低気圧の残骸と合体し、12番目の熱帯低気圧となる。 8月24日朝、11番目の熱帯性暴風となり、「カトリーナ」と名付けられる。 8月25日、ハリケーンとなりフロリダ半島に上陸。その後、いったんメキシコ湾に抜ける。フロリダでの死者7名。 8月28日、ブッシュ大統領はルイジアナ州に非常事態宣言、ニューオーリンズ市は48万人の市民に避難命令を発令。 8月29日、ルイジアナ州に再上陸。その後、勢力を落としながら北上。当初、死者は少なくとも55名と報道。 8月30日、ミシシッピ州の東部を通過中に熱帯性暴風になる。ニューオーリンズの8割が水没したとの報道。 8月31日、大統領が休暇を切り上げワシントンに戻る。カトリーナはカナダ南東部に達し、前線の一部となる。 最強烈の大西洋ハリケーン順位ハリケーン年中心気圧 (hPa)1 ウィルマ(Wilma) 2005年 882 2 ギルバート(Gilbert) 1988年 888 3 レイバー・デー(Labor Day) 1935年 892 4 リタ(Rita) 2005年 895 5 アレン(Allen) 1980年 899 6 カミーユ(Camille) 1969年 900 7 カトリーナ(Katrina) 2005年 902 8 ミッチ(Mitch) 1998年 905 ディーン(Dean) 2007年 10 マリア(Maria) 2017年 908
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ハリケーンの発生から消滅まで
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「オキーチョビー・ハリケーン」の記事における「ハリケーンの発生から消滅まで」の解説
1929年9月6日、アフリカ西海岸セネガルの首都ダカールに近い沖合で、船舶が熱帯低気圧の発生を報告した。翌日、風速60マイル/時 (27 m/s) が報告され、これに基づき、大西洋ハリケーン再分析プロジェクトは9月6日遅くに熱帯低気圧の状態だったと推計した。しかし、数日間観察が無かったために低気圧の強度を時間を追って評価することができないでいる間に、低気圧は大西洋を横切ってほぼ西に移動していた。9月10日、S.S.コマック号がグアドループの東約900マイル (1450 km) で初めて嵐を観測し、これが船の無線を通じて受け取ったこの低気圧の最も東の位置に関する報告だった。その日遅く他にも2隻の船が嵐の強度を確認し、ハリケーン研究部が9月10日18時 (UTC) に、この低気圧がハリケーンに成長したと推計した。 嵐が小アンティル諸島に近づくにつれて勢力を増し続けた。9月12日17時半から18時半の間に、ハリケーンの目はグアドループの頭上を通過し、気圧は940 hPa を記録し、最大風速は140マイル/時 (67 m/s)、シンプソン・スケールでカテゴリー4になったことを示唆していた。ハリケーンは引き続き西北西に動き、ヴァージン諸島のセント・クロイ島の南10マイル (16 km) を通過した後、プエルトリコに接近した。9月13日、直径15マイル (25 km) のハリケーンの目が、プエルトリコ島の南東グアヤマ近くから上陸し、北西のアグアディラとイサベラの間で出て行くまで8時間で縦断した。プエルトリコ南部海岸近くにいた船舶は、気圧931 hPa を報告し、サンフアン市にあったカップ式風速計は最大風速160マイル/時 (71 m/s) を記録した後に壊れた。その観測点がハリケーン中心の北30マイル (50 km) にあったので、上陸点近くでの風速は200マイル/時 (89 m/s) にもなったと非公式だが推計されている。これが正しければ、このハリケーンはカテゴリー5の状態でプエルトリコに上陸したことになるが、その大きさが大きく、速度が緩りだったために、ピーク時勢力については不確かなところがある。 ハリケーンはプエルトリコを通過して大西洋に出た後、イサベラで計測した気圧 941 hPa から、風速は約140マイル/時 (62 m/s) まで落ちていた。ハリケーンはイスパニョーラ島(ハイチとドミニカ共和国がある島)の北岸を掠め、西北西に動きながら、再び勢力を強めた。9月15日、タークス・カイコス諸島のグランドタークから35マイル (55 km) 以内を過ぎ、この時までに風速は155マイル/時 (69 m/s) まで戻っていた。さらにカテゴリー4のままバハマ諸島を過ぎ、9月16日10時 (UTC) にナッソー近くを通った。当初、アメリカ国立気象局のリチャード・グレイは、この嵐が南フロリダ地域を躱すものと楽観していた。しかし、9月17日0時 (UTC)、このハリケーンはフロリダ半島南東部のウェストパームビーチ近くに上陸した。この時の推計風速は145マイル/時 (64 m/s) だった。これはウェストパームビーチ市内の気圧計の読み 929 hPa に基づくものであり、当時アメリカ合衆国で記録された最低気圧の記録となった。それまでの最低記録は1926年のマイアミ・ハリケーンで記録された 935 hPa だった。キャナルポイントでの最大風速は160マイル/時 (71 m/s) 近くと推計された。 ハリケーンが内陸を進んでオキーチョビー湖の上を通過すると急速に勢力を落としたが、その大きさが大きかったので、その後の数日間もハリケーンの状態を維持した。9月17日遅く、ハリケーンは北東に向きを変え、翌朝早くにはジャクソンビル近くを通過した。この時点で風速は75マイル/時 (33 m/s) だった。9月18日8時 (UTC)、ハリケーンは再び海洋上に出た。その日遅く、海上で勢力をやや回復し、19時 (UTC)、サウスカロライナ州エディストアイランド近くで、アメリカ本土2回目の上陸をした。風速は85マイル/時 (38 m/s) だった。ハリケーンは北東に速度を上げ、急速に衰えて、ノースカロライナ州上空で熱帯低気圧に変わった。9月19日、さらに温帯低気圧に変わったが、やや勢力を回復してハリケーンに近い状態になった。その後は北北西に転じ、速度を上げてアメリカ合衆国東海岸を進んだ。9月21日、この低気圧はカナダのオンタリオ州上空で消滅し、他の擾乱と合流した。 最強烈の大西洋ハリケーン順位ハリケーン年中心気圧 (hPa)1 ウィルマ(Wilma) 2005年 882 2 ギルバート(Gilbert) 1988年 888 3 レイバー・デー(Labor Day) 1935年 892 4 リタ(Rita) 2005年 895 5 アレン(Allen) 1980年 899 6 カミーユ(Camille) 1969年 900 7 カトリーナ(Katrina) 2005年 902 8 ミッチ(Mitch) 1998年 905 ディーン(Dean) 2007年 10 マリア(Maria) 2017年 908
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