セイラーズクリークの戦いとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > できごと > 事件・事故 > 戦争・紛争 > 南北戦争の戦闘 > セイラーズクリークの戦いの意味・解説 

セイラーズクリークの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 02:02 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
セイラーズクリークの戦い
Battle of Sayler's Creek
南北戦争
1865年4月6日
場所バージニア州アメリア郡プリンスエドワード郡およびノットウェイ郡
結果 北軍の勝利
衝突した勢力
北軍 南軍
指揮官
フィリップ・シェリダン リチャード・イーウェル
リチャード・H・アンダーソン
戦力
15,000-16,000[1] 11,500[1]
被害者数
1,148[2] 捕虜7,700、戦死および負傷者は不明[2]

セイラーズクリークの戦い(セイラーズクリークのたたかい、英:Battle of Sayler's Creek、またはヒルズマン農園の戦い、英:Battle of Hillsman Farm、またはロケット農園の戦い、英:Battle of Lockett Farm)は、南北戦争の最終盤1865年4月6日アポマトックス方面作戦の一部としてバージニア州ピーターズバーグの南西、アメリア郡プリンスエドワード郡およびノットウェイ郡で行われた戦いである。

背景

北軍ユリシーズ・グラント中将がピーターズバーグの包囲戦南軍の防御線を破った後、南軍ロバート・E・リー将軍の北バージニア軍はノースカロライナ州にいるジョセフ・ジョンストン軍との合流を期待して撤退を始めた。北軍の追撃軍を率いたフィリップ・シェリダン少将は4月1日ファイブフォークスの戦いで南軍を破った後は、その騎兵の機動力を生かし、西にリー軍を追って競走のような形になっていた。4月2日の夜にピーターズバーグを明け渡したリー軍は食糧の調達もままならず、その行軍は遅れ気味になっていた。

戦闘

4月6日、撤退中の南軍の4分の1近くがセイラーズクリークで、シェリダンの騎兵隊と第2軍団および第6軍団の部隊に遮られた。南軍の2個師団がクリーク沿いで第6軍団と戦った。南軍が攻撃したが撃退され、ヒルズマン農園に据えられた北軍の大砲がこの撃退に重要な役割を果たした。その後直ぐに北軍の騎兵隊が南軍前線の右手を突破した。南軍兵の大半7,700名が降伏し、その中にはリチャード・イーウェル、セス・M・バートン、ジェイムズ・P・シムズ、メリウェザー・ルイス・クラーク・シニア、ジョセフ・B・カーショー、ジョージ・ワシントン・カスティス・リー(ロバート・E・リーの息子)、ダドリー・M・デュ・ボーズ、エッパ・ハントンおよびモンゴメリー・D・コース等の将軍が含まれていた。またこの戦闘には南軍海軍中佐ジョン・ランドルフ・タッカーとその戦隊(300名ないし400名)も参戦し、水兵達はセイラーズクリークで戦った。さらに北軍の第2軍団は、道を誤っていた南軍ジョン・B・ゴードンの部隊も撃退した。

戦闘の後

リーは多くの生存兵が道に溢れるように過ぎるのを見て、ウィリアム・マホーン少将の前で「おお神よ、軍隊は分解してしまったのか?」と叫ぶと、マホーンが「いいえ将軍、ここにはその任務を果たす用意のある兵士達がいる」と答えた。リーは兵士達の任務への忠実さに感動し、マホーンに「そうだ、まだ誠実な兵士が残っている。...これらの兵士を戻るようにしてくれないか?」と告げた[3]

戦闘の名称

アメリカ合衆国国立公園局とバージニア州は、この戦闘に最近の名称である「セイラーズクリーク」を用いているが、歴史ある名称は「セイラーズ」であり、恐らくは地元の土地所有者の名前から来ている。南北戦争に関する多くの著名歴史家達(ジェイムズ・M・マクファーソン、シェルビー・フット、ブルース・キャットン、ダグラス・サウスオール・フリーマン等)は歴史的名称を使っている。1900年代初期に出版された新国際百科事典ではこの戦闘を「セイラーズクリーク」としている。

セイラーズクリーク戦場跡は1985年に国立歴史史跡に指定された。

脚注

  1. ^ a b Salmon, p. 479.
  2. ^ a b Salmon, p. 480.
  3. ^ Freeman, vol. 3., p. 711.

参考文献

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「セイラーズクリークの戦い」の関連用語

セイラーズクリークの戦いのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



セイラーズクリークの戦いのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのセイラーズクリークの戦い (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS