北軍の反撃
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「ホワイトオーク道路の戦い」の記事における「北軍の反撃」の解説
グリフィンの第5軍団の旅団とウェインライトの砲兵隊が、午後1時までに北軍の前線を安定させた。それは戦闘が始まってから約2時間半経った時だった。ウォーレンとグリフィンは、2日前のルイス農園の戦いで負傷していたジョシュア・チェンバレン准将に近づき、「チェンバレン将軍、第5軍団の名誉を救ってくれるか?」と尋ねた。チェンバレンはルイス農園で受けた傷が痛んでいたが、任務を受けることに同意した。午後2時半、チェンバレン隊が冷たく膨れ上がったグレイブリーランを渡り、その後をグリフィン師団の残り部隊が続き、さらにウォーレン軍団の再編成された部隊が続いた。 ジョンソン隊のホワイトオーク道路の南にある射撃壕の新しい陣地はエアリー隊が構築したものだったが、そこから南軍は近くの森からチェンバレン隊が現れたときに激しい銃火を浴びせた。ウォーレンはチェンバレンにその陣地を保つよう命じたが、チェンバレンはグリフィンに銃火の下に留まって狙い撃ちされるのを待つよりも南軍を攻撃に出た方が良いと提案していた。グリフィンはその提案を承認し、チェンバレンの旅団はエドガー・M・グレゴリー大佐(名誉准将)の旅団と共に、ハントンの旅団に攻撃を掛け、ホワイトオーク道路の前線まで追い出していた。続いてチェンバレンとグレコリーの隊はホワイトオーク道路を越えた。南軍の残り部隊は側面を衝かれて圧倒されるのを避けるために後退するしかなかった。 ウォーレンの隊がホワイトオーク道路を越えてクレイボーン道路を追跡したが、ウォーレン自らと斥候の大きな部隊が銃火を浴びることになった偵察の後で、即座に南軍の防御工作物を攻撃することで何も得るものがないと判断した。ウォーレンの軍団は、南軍の右側面の西でホワイトオーク道路の一部を占領したことで戦闘を停止した。そこは南軍前線の端部とファイブフォークスのピケット隊の間にあった。エアーズの師団は戦闘に参加していなかったが、チェンバレンとグレゴリーの部隊が南軍を後退させたときに、ホワイトオーク道路の直前で西のファイブフォークスを向いて停止した。このことでアンダーソンとピケットの部隊間の直接通信線が遮断され、両部隊の交信がほとんど全てできなくなった。 ウォーレンはその部隊を纏めた後で、ミードの参謀長であるアレクサンダー・S・ウェブ准将(名誉少将)からそうすることを指示する伝言を受けて居った。ウェブは、シェリダン隊が前進していると考えられているが、実際にはディンウィディ・コートハウスの戦いでピケット隊に押し返されていると伝えていた。
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北軍の反撃
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「ステッドマン砦の戦い」の記事における「北軍の反撃」の解説
しかし、北軍は撤退しようとはしなかった。第9軍団予備師団(新しく徴兵したペンシルベニア6個連隊から構成されていた)の指揮官ジョン・ハートランフト少将がその部隊を集めて反撃に移った。北軍前線の上下から大砲の支援もあり、ハートランフト将軍はどうにか南軍の攻撃を止めた。ステッドマン砦にいたゴードンは、先導隊が戻り始め北軍の抵抗が厳しいと報告した時にその作戦の失敗を認めた。午前7時半までに北軍は前線の穴を埋め、その大砲は砦に激しく砲撃をしていた。午前8時まえに連携を取った攻撃が始まり、ハートランフトはステッドマン砦を取り返すことができて、元々の北軍前線を修復した。退却する南軍は北軍の十字砲火を浴びて大きな損失を出した。南軍の攻撃は失敗した。
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