北軍の援軍が南軍を押し返す
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 03:36 UTC 版)
「ルイス農園の戦い」の記事における「北軍の援軍が南軍を押し返す」の解説
再度戦闘が小やみになった後、チェンバレンは、前方の森の中にある南軍工作物を採ろうとして押し返されていたニューヨーク連隊を見た。チェンバレンとその連隊の士官は兵士を落ち着かせ、間もなく南軍を押し返したが、その時には正規兵中尉ジョン・ミッチェル中尉が指揮する砲兵隊が大砲4門を惹いて来て彼らを支援した。この大砲の砲撃があったにもかかわらず、南軍は北軍の陣地の側面を衝き突撃を掛けてきた。チェンバレンの兵士と砲兵がその陣地を守ったが、続いて南軍は北軍陣地の中央と右翼にいたペンシルベニア部隊に突撃を掛けた。これら北軍兵は弾薬が尽きかけており、緩りと後退を始めた。 チェンバレンの前線が後退したとき、その第1旅団は、エドガー・M・グレゴリー大佐(名誉准将)の第2旅団のニューヨーク志願歩兵第188連隊とペンシルベニア志願歩兵第155連隊(ズアーブ兵)で補強された。アルフレッド・L・ピアソン大佐(名誉准将)がペンシルベニア連隊を率いて南軍が遮蔽物に使っていた中央のおが屑柱に向かった。ピアソンは自ら連隊旗を掴み、兵士達と共におが屑柱に突撃し、疲れてきていた第1旅団の後を着いていたが、その先に通り越した。この戦闘から32年後、ピアソンはルイス農園での英雄的行動で名誉勲章を授けられた。 南軍は北軍が補強されるのを見て、ホワイトオーク道路に沿った主たる塹壕線まで後退し、ボイドトン板張り道路の支配権を放棄し、後には重傷を負った者達を残し、その他降伏した兵士もいた。チェンバレンはルイス農園の両側および前面に、砲兵大隊と共にその部隊を配置させた。
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