北軍の潰走
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/23 16:25 UTC 版)
「第一次ブルランの戦い」の記事における「北軍の潰走」の解説
この戦場の西方では、北軍ハインツェルマン師団のオリバー・ハワード大佐の旅団がチンリッジを占領していた。やはり午後4時頃、シェナンドー渓谷からジュバル・アーリー大佐とカービー・スミス准将の2個旅団が到着して、ハワードの旅団を打ち破った。ボーリガードは全軍に前進を命じた。マクドウェル軍は崩壊して撤退を始めた。 この撤退はブルラン・クリークを渡るまでは比較的秩序だって行われたが、北軍の士官はもはや指揮することが出来なくなっていた。カブラン・クリークに架かる橋の上で北軍の荷車に砲弾が当たって転覆した時、マクドウェル軍に恐怖が走った。兵士達が武器や装備もかなぐり捨ててセンタービルへ向けて這々の体で走り始めると、マクドウェルはディクソン・マイルズ大佐の師団に殿軍を務めるよう命令したが、ワシントンの手前で部隊を再招集することは不可能だった。それに続く混乱の中で数百におよぶ北軍兵士が捕虜になった。そこから至近距離にあるワシントンからは、政治家やその家族を含む富裕な特権階級が北軍の容易な勝利を予測してピクニックに訪れ戦闘を観戦していた。北軍の兵士が無秩序に走って逃げてきたとき、ワシントンへ向かう道は恐怖に捕らわれて馬車で逃げようとする市民達で塞がれてしまった。 ボーリガードとジョンストンはこの勝機を徹底的に押し通すまではやらなかった。アメリカ連合国大統領のジェファーソン・デイヴィスが北軍兵士が逃げる様を見るために戦場に到着し、追撃を奨励したものの、両将軍の軍隊も北軍と同じくらいに乱れきったままであった。ジョンストンがミレッジ・ボーナム准将とジェイムズ・ロングストリート准将の旅団を使って北軍の右側面から割り込ませようとしたが、失敗に終わった。2人の指揮官は互いに罵り合ったが、ボーナムの兵士が北軍殿軍の砲火を浴び、リチャードソンの旅団がセンタービルに向かう道路を塞いでいるのを見て、追撃を中止した。
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