北軍の行動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 03:38 UTC 版)
「ホワイトオーク道路の戦い」の記事における「北軍の行動」の解説
絶え間ない雨が行動を著しく困難にし、北軍の移動部隊もその新しい陣地へ物資を移動させる能力を損なわせていた。ウォーレンの第5軍団の兵士の大勢が、泥道も丸太を敷いた道であっても、御者の荷車と馬を通す動きを手伝わねばならなかった。グレイブリーランが通常の大きさの3倍に膨れ上がっており、ハッチャーズランの橋や船橋が流されていた。 3月30日は、第5軍団の散兵が、南軍のホワイトオーク道路前線のボイドトン板張り道路とクレイボーン道路との間で南軍を止め続けていた。ミードとグラントからの不完全な情報や、曖昧で矛盾する命令があったにもかかわらず、ウォーレンはグラントの命令に従い、ボイドトン板張り道路の一部での地歩を強化するために第5軍団を前に押し出していた。第5軍団はその道路とダブニーミル道路との交差点からグレイブリーランまでを覆う前線で塹壕に入った。午後になって、ウォーレンはグリフィン隊が南軍の前進基地を占領したのを見たが、ボイドトン板張り道路を進むとすれば、南軍の大砲と防御工作に阻まれることも分かっていた。 一方、ハンフリーズの第2軍団は第5軍団と第24軍団の間の隙間を埋めていた。第24軍団はその前面にあった南軍の哨戒線の大半を占領していた。ハンフリーズの第2軍団は全体の戦闘を始めることなしにできる限り南軍の前線近くに近く動いてもおり、前衛は塹壕に入っていた。3月30日のホワイトオーク道路前線における戦闘で、北軍の損失は戦死1名、負傷7名、不明15名だった。南軍の損失は不明である。 3月30日夜、グラントはミードに、以前に作戦を立てていたように3月31日に前線に沿って第6軍団と第9軍団に総攻撃を掛けさせないが、南軍がその前線を弱めるような動きをすれば、それに付け込める用意をしておくよう助言した。グラントは、ウォーレンの軍団全軍がエアーズの部隊を補強できるように、西に移しておきたいという意思も伝えていた。
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