最後の新造電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 18:15 UTC 版)
1988年の瀬戸大橋完成に合わせ、在籍車両中でも唯一ワンマン化されず、また老朽化が特に深刻になってきていたモハ102-サハ2-クハ22の代替用として、1961年のモハ103-クハ24以来実に27年ぶりの新車が用意された。 アルナ工機でモハ2001-サハ2201-クハ2101の計3両1編成が製造されたこの新車は、「大正ロマン電車」をデザインコンセプトとするいわゆるレトロ調電車であり、塗装は従来車と異なり赤一色、屋根はダブルルーフ(レイルロード・ルーフ)で前面にはカウキャッチャーと飾りのベルをぶら下げたダミーのデッキを設けていた。さらに、運転台寄り半室が冷房付きで海側がクロスシート、山側がロングシートの赤いクレパス号と同様の座席配置のセミクロスシートとした密閉型、残り半室とサハの全室は車窓向きに座席が配置されたカラーパイプを並べたロングシートの開放型という非常に特徴的なアコモデーションを備え、「メリーベル」という愛称が与えられていた。 もっとも、外観の奇抜さとは裏腹にその主要機器は至って普通であった。制御器(東洋電機製造製HL制御器)と主電動機こそ下津井工場に長らくストックされていた予備品が流用されたが、主電動機は在庫品を絶縁強化して出力アップ、台車は住友金属FS538と呼称される片押し式ユニットブレーキにメンテナンスフリーの密封式円錐コロ軸受、そしてオイルダンパを組み込まれた防振台車を採用、路面電車向けに生産されていた当時最新鋭の東洋電機製Z型パンタグラフをモハとクハの前頭部寄りに搭載し、離線対策として両者間を母線結合、補助電源装置は静止形インバータ(SIV)を初採用、ブレーキも電気指令式電磁直通ブレーキ(HRD-1)とするなど、当時の最新技術を積極的に、しかもメンテナンスフリーに重点を置いて合理的な形で導入していた。 この「メリーベル」は中間のサハ2201を抜き取ってモハ2001-クハ2101の2両編成でも運用可能で、同年開催された瀬戸大橋博覧会終了後はその状態でしばらく運行され、その間サハ2201は下津井駅構内に留置されていた。 これら3両は久々の新造車両であり、その就役によりモハ102-サハ2-クハ22を廃車に追い込んだが、これら自体も想定外の会社不振による下津井電鉄線そのものの廃止により、実運用期間わずか3年未満で廃車となった。 その後、同じ762mm軌間で2003年4月1日に近畿日本鉄道から地元自治体の支援により運営移管した三岐鉄道北勢線に車両譲渡の話もあったが、保安装置や架線電圧の相違など車両規格やその改造費用等の様々な問題があり、その後立ち消えとなって実現していない。
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