最後の星まつり、そして死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 11:01 UTC 版)
「チロ (犬)」の記事における「最後の星まつり、そして死」の解説
1981年の「星空への招待」は、部分日食の日にあたる7月31日(en:Solar eclipse of July 31, 1981)に開催された。この日は会場で、食分66%の部分日食が見られることになっていた。当日は台風が接近していたため曇ってしまった地方が多かったものの、山上にある会場は好天に恵まれた。会場に集まった約1200人に上る天文ファンは、青空の中で次第に細く欠けていく太陽の姿に見入って歓声を上げた。 その状況をよそに、チロは藤井の車の助手席でぐったりと横になっていた。藤井も部分日食が進行する間、チロの具合が悪いことが気になっていた。藤井はチロの胸に、その年の春先あたりから小さな腫瘍らしいものができていることに気づいていた。夏が近づくころには、その腫瘍はかなり大きくなっていた。チロが手術をして「星空の招待」に不参加となったら、チロに会うことを楽しみにしている天文ファンが失望するだろうとの考えから藤井は治療を先延ばしにしていた。その日の夜更け、会場内を見回っていた藤井のもとに「チロの様子が変だ」と星仲間の1人が急を知らせてきた。 チロがぐったりとうずくまっているのを目の当たりにした星仲間たちは、一刻も早い病院行きを口々に勧めた。チロは真夜中のうちに山から下りて、病院で治療を受けることになった。チロを乗せた車のそばに、大勢の星仲間が観測を中断して集まってきた。彼らがそれぞれチロを励ますと、チロもそれに応えて席から立ちあがってちょっと尻尾を振ってみせたが、結局それがチロと星仲間たちの最後の別れとなった。 チロを診察した病院長は、12歳というチロの年齢を考慮して表情を曇らせたものの、一刻も早い手術を勧めた。手術は「大手術を覚悟してください」との病院長の言葉どおり、3時間に及んだ。藤井は手術の続く間チロの無事を星に祈り、もっと早く手当をしてやればなどと後悔し続けていた。チロの手術は成功し、検査の結果腫瘍も良性と判明した。元気を取り戻したチロの姿に、星仲間たちも安心していた。 この状態は長くは続かず、9月に入った頃からチロの容体が悪化した。腹部が膨れて苦しくなり、立ったままで一睡もできない状態が三日三晩続いたため、藤井はチロに付き添ってその体を支えてやっていた。藤井は夜にチロを庭に連れ出して、自らの眠気を抑えつつ子守唄を歌いながらチロの体を支え続けた。 病院の医師たちも、チロのために最善を尽くしていた。しかしチロは1981年9月14日の夕方、藤井の腕の中で息を引き取った。その最期は静かなもので、普段どおりに気持ちよさそうに眠るチロの寝顔のようであった。藤井が病院からチロを抱いて戻ってくると、夜空には大きな月が昇ってきた。この夜は中秋の名月であったが、藤井が小さなチロをデパートから連れ帰った夜も同じく満月の夜であった。
※この「最後の星まつり、そして死」の解説は、「チロ (犬)」の解説の一部です。
「最後の星まつり、そして死」を含む「チロ (犬)」の記事については、「チロ (犬)」の概要を参照ください。
- 最後の星まつり、そして死のページへのリンク