完成後も続く課題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 18:50 UTC 版)
大川橋より望む、満水時(上)と渇水時(下)のさめうら湖。中央部に旧大川村役場がある(2008年渇水時)。 早明浦ダム完成によって吉野川総合開発計画は大きな山場を越えたが、ダム完成以降も開発は継続して行われた。1978年(昭和53年)には支流の瀬戸川・地蔵寺川の取水口・導水路が完成して高知分水事業が完成。その後1990年(平成2年)には吉野川北岸用水が完成して伏流水が多い地域での安定した水供給が図られ、2000年(平成12年)には銅山川の富郷ダムが運用を開始して愛媛分水事業も完成し、1950年に立案された吉野川総合開発計画は半世紀の歳月を経て完了した。以後、四国四県の水がめとして、また吉野川の治水において早明浦ダムが果たしている役割は極めて大きく、四国における市民の日常生活・経済活動に不可欠な存在となっている。しかし、完成以後幾つかの問題も抱えている。 治水については完成直後の1975年8月17日、台風5号に伴う豪雨で吉野川上流は総降水量が718ミリを記録、ダムには最大で毎秒7,200トンと計画流量を約3,000トン上回る洪水が流入し、結果として洪水調節機能が不足し「異常出水」という形で直下流の早明浦発電所や川沿いの民家などに被害が発生した。このため減勢工の改良工事などを行うこととなりこれに関連する補償として29戸が移転した。さらに翌1976年(昭和51年)9月12日の台風17号でも計画を上回る毎秒4,800トンの洪水を記録。これに伴う放流で長期間吉野川が濁り、濁水問題として漁業関係者を中心に対策が要求された。これに対処するため公団はダム湖表層の上澄み水を放流する施設である表面取水設備を新たに設置して下流への濁水放流防止を図り、こうした後始末を経て1979年(昭和54年)にはダム関連の全事業を完了した。ただ2005年の台風14号では流入量が最大で毎秒5,600トンと計画を上回り、後述するように当時渇水状態だったため洪水の被害は結果的に避けられたものの、仮に貯水率が平年並みだったとすると被害が発生した可能性が高いと分析されている。このためさらなる洪水調節容量の上積みを求める意見も出されている。 そして近年大きな課題となっているのが水不足の頻発である。特に1994年(平成6年)の平成6年渇水と2005年(平成17年)の大渇水においてはダムの貯水量が大幅に低減、水没した旧大川村役場が姿を現しダム渇水のシンボルになってしまった。2005年の渇水ではダム貯水率が0%と完全に枯渇し、連日水不足がニュースや新聞のトップ項目に挙げられるなど全国的にも話題となった。この間国土交通省や徳島県・香川県といった流域自治体は四国電力に大橋・大森川・穴内川といった発電専用ダムからの緊急放流を要請し、これらのダムから緊急放流が行われた。早明浦ダムでも発電所を管理する電源開発に緊急放流を要請、放流が行われた。9月5日の台風14号による降雨で利水容量に対する貯水率が1日にして100%以上に回復し事態は収拾された。 2008年(平成20年)にも渇水により貯水率が0%となり発電専用水の緊急放流が行われている。同年6月以降気象庁気象研究所は早明浦ダム上空で、国内としては40年ぶりとなる大規模な人工降雨実験を行った。雨雲に航空機からドライアイスおよび塩化ナトリウムの微粒子を散布するというもので、この結果、氷の結晶粒子の成長が観測されたという。塩害など環境への影響が懸念されることから大川村では実験反対の声があがり、大川村上空は実験からはずすこととなった。
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