ダムの目的 (だむのもくてき)
ダムの目的
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/23 02:54 UTC 版)
洪水調節 - 鷹生ダムで洪水調節を行い、盛川沿川地域の水害を防除。 不特定利水 - 盛川沿川の既得用水(農業用水等)の補給及び河川流量減少時に鷹生ダムより補給。 上水道用水の確保 - 大船渡市による新たな取水。
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ダムの目的
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/30 03:43 UTC 版)
ダムは当初「酒匂ダム」という名称で計画されていた。酒匂川水系最大の支流である河内川の中流部、当時取水ダムがあった場所に計画された。型式は中央土質遮水壁型ロックフィルダム。高さは計画当初100.0mであったが後に95.0mと5.0m低減させた。特徴としては、ロックフィルダムとしては異例とも言える5門のゲート(水門)を有する洪水吐きの存在であり、これだけの大規模な洪水吐きを有するロックフィルダムは、全国的に稀少である。 目的は酒匂川沿岸の洪水調節、神奈川県全域への上水道供給、認可出力7,000キロワット(現在7,400キロワット)の水力発電である。ダム建設によって223世帯の住居が水没する事となったが、完成前に水没住民より地名を残して欲しいという要望があり、事業者である神奈川県も要望を受け入れ、ダム名を「酒匂ダム」から湖底に沈む三保村に因み「三保ダム」へと変更した。ダムは1978年(昭和53年)に完成し、以後神奈川県の水がめとして重要な役割を担っている。 なお、1975年(昭和50年)時点では、東京電力による三保ダムを利用した揚水発電を行う計画があった。これはダム湖に注ぐ世附川に堤高120.0mのロックフィルダムである「神尾田ダム」を建設して上部調整池とし、三保ダムを下部調整池とすることで認可出力900,000kWの揚水発電を行うというものであった。だがこの「神尾田発電所計画」は中止となっている。
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ダムの目的
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/24 18:54 UTC 版)
長島ダムは型式が重力式コンクリートダムで、堤高は当初112.0mを計画していたが後に修正されて109.0mとなった。特定多目的ダム法に基づき国土交通大臣が直轄管理を行う特定多目的ダムであり、大井川水系唯一の多目的ダムである。目的は洪水調節、不特定利水、灌漑、上水道供給であり、水力発電目的は有しない。水力発電を行わないダムとしても大井川本川では唯一となる。計画から29年後の2001年(平成13年)に完成しており、日本の長期化ダム事業の一つでもある。
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ダムの目的
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/06 09:27 UTC 版)
横山ダムは揖斐川の洪水調節、既得農業用水の取水量維持を図る不特定利水、中部電力による発電(認可出力70,000kW)を目的とした特定多目的ダムである。灌漑に関しては1968年(昭和43年)より農林省(現・農林水産省東海農政局)が事業主体となって進めた「西濃用水事業」の水源として利用され、下流の揖斐川町岡島に建設された岡島頭首工より取水され濃尾平野西部の農地を潤している。尚、西濃用水は現在西濃用水土地改良区連合が管理を行っている。ただし徳山ダム完成に伴い、灌漑機能を移行したため現在では灌漑用途としては利用されていない。 堤高は80.8mで、型式は中空重力式コンクリートダム。これはダムのコンクリート量を少なく出来る点で昭和中期に盛んに造られたが、技術が高度なため、かえってコストがかかり、現在では建設される例はない。ダム堤体内にはおよそ幅9m、高さ40m、奥行き16mの空洞が10箇所あり、この空洞内でコンサートも開かれたこともある。ダム管理事務所に問い合わせすれば、堤体内部の見学も可能である。またSPACE BATTLESHIP ヤマトの地球防衛軍地下ドックの撮影場所として利用された。
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ダムの目的
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/18 17:33 UTC 版)
ダムの型式は重力式コンクリートダム、高さは67.4mであり戦前では7番目に高いダムであった。ダムに付設する打梨発電所は最大出力23,600kWを有する。又本川下流には鱒溜ダム(ますだまりダム、重力式コンクリートダム、19.2m)が同年に完成し、付設する土居発電所は最大出力が8,000kWである。この時期は戦時体制に入りつつあり、電力の国家統制策が政府によって推進されていたがダム完成後に管理・運営は日本発送電株式会社の手に委ねられる様になった。 しかし敗戦後連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって過度経済力集中排除法に指定された日本発送電は1950年(昭和25年)に分割・民営化された。この時中国地方の発電・送電・配電は中国電力株式会社の管掌となり、ダムの管理も中国電力に移管され現在に至る。太田川の電源開発はその後1957年(昭和32年)に王泊ダム嵩上げ事業と樽床ダムが完成し、やがて中国地方の水力発電所では第2位の出力を誇る南原発電所(南原ダム・明神ダム)へと繋がっていく。立岩・王泊・樽床の3ダムは「太田川3ダム」とも呼ばれ、太田川水系を代表するダムとなった。
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ダムの目的
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 07:48 UTC 版)
岩屋ダムの目的は木曽川下流部において、計画高水流量(計画された最大限の洪水流量)毎秒16,000トンのうち毎秒3,500トンをカットする洪水調節、名古屋市・愛知県尾張地域・岐阜県中西濃地域・三重県北勢地域への上水道供給、中京工業地帯及び愛知・岐阜内陸部の工業地域に対する工業用水、かんがい、水力発電である。 かんがいについては農林水産省管轄の水資源開発公団二工(現・水資源機構水路事業部)が管理する木曽川用水上流部の水源である。岩屋ダムによって貯えられた水は加茂郡白川町に建設された上麻生ダム(中部電力)の貯水池に設けられた白川取水口より取水され、トンネルを通じて美濃加茂市の蜂屋調整池・上飯田調整池で一時貯留された後に美濃加茂市・関市・八百津町などの木曽川右岸地域約4,000ヘクタールへ新規農業用水を供給する。
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ダムの目的
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 09:13 UTC 版)
大川ダムは特定多目的ダム法に基づき、国土交通大臣が一貫して施工と管理を行う国土交通省直轄ダム・特定多目的ダムである。ダムは16年の歳月を経て1987年(昭和62年)に竣工し、周辺整備を行った後1988年(昭和63年)より運用・管理を開始した。目的は洪水調節、不特定利水、灌漑、上水道供給、工業用水道供給および水力発電であり、多目的ダムの中でも用途が広い。 治水目的について、まず洪水調節では阿賀野川本川の計画高水流量(計画された最大限の洪水流量。過去最大の洪水量を基に試算される)毎秒3,400トンを下流の会津坂下町宮古(国道49号・宮古橋付近)の基準点において毎秒2,600トンに軽減する(毎秒800トンのカット)。不特定利水では阿賀野川沿岸の慣行水利権分の農業用水を毎秒2.5トン供給し、かつ河川維持放流により阿賀野川の正常な流量維持を図る。 利水であるが、灌漑については阿賀野川流域の新規農地4,400haへ農業用水を供給する。上水道供給は会津若松市、大沼郡会津美里町・河沼郡会津坂下町に1市2町に日量24,500トンを、工業用水道供給では会津若松市内の工業団地へ日量72,500トンを供給する。そして水力発電であるが、電源開発は大川ダムを下池とする下郷発電所を建設した。これはダム上流で阿賀野川に合流する小野川最上流部に上池として大内ダムを建設し、有効落差400mと4台の発電機を利用して認可出力1,000,000kWを発電する。阿賀野川水系では最大の水力発電所であり、1号機と2号機は1988年4月に運転を開始、3号機と4号機は1993年(平成5年)7月に運転を開始した。またこれとは別に東北電力はダム式発電所として大川発電所を建設、認可出力21,000kWの電力を供給している。 こうして治水、利水、発電と複雑な有効貯水容量が設定されているため、厳密な水量管理が行われている。また、ダムには重大な洪水にのみ使う非常用洪水吐4門、通常の放流に使う常用洪水吐5門など合計11門の水門が設置されているが、これは阿賀野川の水量が多い上にダムより上流の流域面積が広く、大雨の際には莫大な水量がダムに流入するためである。
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ダムの目的
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 08:46 UTC 版)
鹿瀬ダムは前述の様に水力発電を目的にして建設されたダムである。ダム左岸部に建設された鹿瀬発電所(かのせはつでんしょ。写真ではダム右手)は1928年12月1日に運転を開始、認可出力49,500kWを発電し、当時としては大規模な発電所であった。国力増強のために阿賀野川流域の工業地域へ電力を供給するのを目的としており、直下流にある昭和電工鹿瀬工場(現・新潟昭和)などに電力を供給した。この鹿瀬工場は石灰石からカーバイドを経て化学肥料(石灰窒素)を合成する目的で建設されたが、カーバイドを利用してアセトアルデヒドを経て酢酸やその誘導体を合成するアセチレン系有機合成化学工業の工場も併設され、アセトアルデヒド合成工程において排出されたメチル水銀が阿賀野川を汚染し、新潟水俣病を誘発することにつながった。 鹿瀬ダム完成の一年後、1929年(昭和4年)12月1日には直上流に豊実ダム(重力式・34.2m)が建設され発電能力は増強されたが、折から逓信省による「第三次発電水力調査」が1936年(昭和11年)に実施され、阿賀野川と支流の只見川が重点開発地点として注目された。1939年(昭和14年)「電力管理法」施行に伴い戦時経済統制策の一環として日本発送電(日発)が設立されたが、日発は引き続き水力発電開発を進め尾瀬沼・只見川・阿賀野川に20ヶ所のダム・水力発電所を建設する計画を立てた。これに伴って阿賀野川には新郷(1939年)・山郷(1943年)の両ダムが日発によって建設され、戦後東北地方の発送電・配電事業を日発から継承した東北電力がこれを受け継ぎさらに上野尻・揚川(1958年)の両ダムが建設されることで阿賀野川本川のダム式発電所建設計画は一応の完結を見た。これらの発電所による総認可出力は296,200kWと流域有数の電源地帯となった。 その後火力発電が主力となり水力開発は下火となったが、1973年(昭和48年)のオイルショックを機に再度水力発電が見直された。東北電力は阿賀野川に建設された鹿瀬発電所を始め豊実・新郷・山郷の四発電所を再開発して出力を増強する計画を立てた。鹿瀬ダムの右岸に第二鹿瀬発電所(写真ではダム左手の建物)を1973年5月10日に建設し、出力55,000kWを増強した。1975年(昭和50年)には第二豊実発電所(57,100kW)、1984年(昭和59年)には第二新郷発電所(38,800kW)、1992年(平成4年)には第二山郷発電所(22,900kW)が完成し、阿賀野川下流の水力発電所群は増強分を含め470,000kWとなり中規模の揚水発電所と同程度の出力を擁するまでになった。これらの発電所は揚水発電と同様に常時出力が設定されておらず、昼間や夏季など電力需要のピーク時に対応するための発電を行う。
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