日本屈指の大ダム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 18:32 UTC 版)
ダムは当初堤高165.0mの中央土質遮水壁型ロックフィルダムとして計画されていた。当時から日本では屈指の大ダムであったが後に事業費節減と地質調査の結果から重力式コンクリートダムへの変更が可能となり、堤高156.0mのダムとして施工されることとなった。重力式コンクリートダムとしては奥只見ダム(阿賀野川水系只見川。電源開発株式会社。157.0m)に続き全国2番目の高さを誇り、関東地方ではロックフィルダムの奈良俣ダム(楢俣川・水資源機構)の158.0mに次ぐ規模の堤高を誇る多目的ダムである。 ダム建設に伴い49戸の住居が水没することもあり、補償交渉には時間が掛かった。最終的には1978年(昭和53年)に水源地域対策特別措置法の指定ダムとして水没住民に対し様々な生活再建のための施策を補償し、交渉は滝沢ダムより早く1987年(昭和62年)妥結することができた。これ以後本体工事が進められ、1998年(平成10年)に28年の歳月を掛けて完成にこぎ着け、翌1999年(平成11年)より使用を開始した。ダムの目的は洪水調節、不特定利水、東京都・埼玉県への上水道供給、埼玉県営の発電である。
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