日本屈指の漁港町「銚子」へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 23:04 UTC 版)
「銚子漁港」の記事における「日本屈指の漁港町「銚子」へ」の解説
第二次世界大戦末期に、銚子周辺は東京を空襲するB-29の侵入ルートとなり被害を受けた。この空襲により、戦前の港町らしい町並みや隆盛を誇っていた江戸時代からの建造物の多くを失った。第一次整備計画からその後、工事は第九次整備計画(平成6~13年度)まで続けられ、今日のかたちになっている。外洋から銚子外港へ入り、運河で第一卸売市場まで入ることができ、大きな海難事故もなくなっている。1951年(昭和26年)7月10日 には全国で初めて特定第3種漁港に指定され、銚子漁港は水産業の振興のためには特に重要な位置づけとなった。地元漁船はもとより、北は北海道から、南は沖縄にいたる沖合漁船の一大根拠地として発展している。 また、観光都市としても成長した銚子市は漁港区域内に銚子ポートタワー及びウォッセ21(水産物卸売センター)を整備。漁港のシンボルであると同時に犬吠埼灯台と併せて銚子の観光の拠点となっている。 マダイ、カツオ、マグロ類、マイワシ、サンマ、サバ、メカジキ、ブリ、アジ、ヒラメなど、魚種も豊富であり、これら魚介類を取扱う魚市場・卸売場も銚子漁港整備に呼応し、第1・第2・第3卸売場と受入施設の整備拡充が図られ、全国有数の漁業根拠地として更なる発展が期待されている。
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