日本屈指のダムとは? わかりやすく解説

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日本屈指のダム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 09:32 UTC 版)

田子倉ダム」の記事における「日本屈指のダム」の解説

このような経緯経て1953年田子倉ダム奥只見ダム黒又川第一ダム黒又川と共に建設事業正式にスタートし同年11月よりダム建設着手したダム地点険しい山地帯有数積雪地帯でもあったことから、第一に実施されたのは建設資材運搬のための鉄道敷設であった会津川口駅よりダム建設地点まで35.0 km区間専用鉄道建設し1956年昭和31年)に開通させた。この後本格的なダムコンクリート打設開始され同時に発電所工事進められた。この間1956年昭和31年7月には只見特定地域総合開発計画通じ、この事業に関わった当時総理大臣吉田茂工事現場訪問し見学している。1959年昭和34年3月にはダム本体完成して湛水開始され、翌1960年昭和35年10月全てのダム発電所建設事業完成した総工費は約348億円、建設携わった人員延べ300万人であり、日本のダムの歴史において特筆される事業一つであった。だが、困難な建設事業の中でに43名の殉職者を出す結果となり、毎年8月お盆時に慰霊祭執り行われている。 田子倉ダム規模としては奥只見ダム並んで全国屈指の規模を持つ。重力式コンクリートダムとしては堤高全国第六位、堤体積は宮ヶ瀬ダム中津川)に次いで全国第二位である。因みにダム建設使用されセメントの量は、セメント袋に換算して積み重ねた場合富士山の約311倍の高さとなる膨大な量である。こうしたことからダム奥只見ダム御母衣ダム庄川)と並ぶ電源開発三大ダムとして、『OTM三大ダム』と呼称される。「O」は奥只見、「T」は田子倉、「M」は御母衣頭文字である。

※この「日本屈指のダム」の解説は、「田子倉ダム」の解説の一部です。
「日本屈指のダム」を含む「田子倉ダム」の記事については、「田子倉ダム」の概要を参照ください。

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