日本居住時代(1948-72年)
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「ヒロ・ヤマガタ」の記事における「日本居住時代(1948-72年)」の解説
1948年、材木屋の父のもと6人姉弟の3番目として産まれる。幼少の頃より画才を示す。 1955年、米原町立醒井小学校(現在の米原市立河南小学校)に入学。放課後には毎日美術の特別授業を受け、遊び場でもあった近所の寺の住職より老子・道教・禅などの教えを授かる。 1961年、米原町立河南中学校(現在の米原市立河南中学校)に進学。サイクリング好きが高じ、仲間と琵琶湖を周回するようになる。修学旅行では初めて東京に行き、都会の様子に衝撃を受け好奇心を刺激された。また、家業の手伝いで頻繁に入った山林では満天の星に魅了される。アマチュア天体観測家の父に感化され、自作望遠鏡で宇宙観測に熱中するようになる。詩の世界にも傾倒する。 1964年、滋賀県立米原高等学校入学。同校美術教師の日本画家・椙村睦親(すぎむらまさちか)に師事すると同時に、椙村先生の本棚で画家アンリ・ルソーの画集に出会い大いに影響を受ける。公募で多数の受賞を果たす一方で、大阪のネオン屋へ足を運んだり、蛍光灯を使った作品を制作するなど、光に対する好奇心も加速。 1967年、高校卒業と同時に椙村睦親へ入門するが、同年単身で上京。アルバイト先の画材屋で才能を見出され、広告会社でデザインやイラストの仕事に就く。仕事の合間にサイコロや米粒に自分の作品を描いてリフレッシュしていたと言う話は有名。 1972年、五海祐治、崔洋一、篠毅らと共同で「JIM」を渋谷に設立。
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