日本将棋連盟関西本部の立ち上げ
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「木見金治郎」の記事における「日本将棋連盟関西本部の立ち上げ」の解説
1927年5月5日、主宰していた棋正会を関根金次郎名人の東京将棋連盟に合流させ、日本将棋連盟の創立に参加。大阪支部長となる。当時の事務所は木見の自宅に設けられた。 1935年、神田辰之助の八段昇段をめぐり連盟が分裂したが、1936年に「将棋大成会」として合流する。この時、木見は後見役に退き、神田辰之助が支部長、藤内金吾が幹事長となる。1941年、大阪支部が関西本部に昇格。神田辰之助の名人挑戦に配慮し、本部長となる。
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