日本将棋連盟時代とは? わかりやすく解説

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日本将棋連盟時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 03:02 UTC 版)

中井広恵」の記事における「日本将棋連盟時代」の解説

1981年4月1日女流2級プロ入り当時11歳10か月で、史上最年少プロだった(のちに藤田綾11歳6か月最年少記録更新)。 1982年度早くも頭角表し第5期女流王将戦タイトル初挑戦1983年4月14歳のときに奨励会6級入会1985年度、第12期女流名人位戦16歳6か月林葉直子からタイトル奪取。そこから清水市代との三強時代形成した将棋界去った1990年代中盤から2000年代後半にかけては、清水との二強時代となり、特に1993年女流名人位戦から2007年倉敷藤花戦までの全てのタイトル戦に、中井清水いずれか両方登場した詳細は「女流三強」を参照 1990年年齢制限のために奨励会2級退会1992年第19期女流名人位戦清水市代挑戦退けた事により通算5期となりクイーン名人獲得1993年12月9日第5期竜王戦6組池田修一に初勝利し39局目にして公式戦男性棋士破った初めての女棋士となった男性棋士との対戦成績は、2018年8月現在ちょうど100戦って2179敗である。 2002年度第24期女流王将戦自身初の女流三冠となり、それにより理事会審議により2002年11月1日付で清水次いで史上二人目女流六段になった2003年6月27日第17回レディースオープン・トーナメント藤田綾勝利し史上初の女流棋士通算400勝を達成2003年度NHK杯テレビ将棋トーナメントでは、1回戦畠山鎮に、2回戦では当時A級棋士だった青野照市勝利した3回戦中原誠敗退)。 2004年清水女流棋士同士では初めての百番指し記録2020年2月まで中井4577敗)。NHK杯では、1回戦佐藤秀司勝利し昨年引き続き男性棋士相手白星挙げた。続く2回戦では当時棋聖保持していた佐藤康光あと一歩のところまで追い詰めた。この時解説務めた先崎学は「九分九厘中井の勝ち」と評し佐藤対局後に「僕が負けてもおかしくなかった。」とコメント残している。 2005年61年ぶりに実施され日本将棋連盟プロ編入試験では、女性唯一の試験官選ばれ受験者瀬川晶司六番勝負第4局対局かねてから女流棋士中には連盟正会員地位求める声があり、このアピール機会に、中井周り女流棋士ファン期待受けて対局臨んだが、中盤まで優位に進めながら逆転負け喫した2006年12月女流棋士新法人設立準備委員会の委員長就任日本将棋連盟からの独立のために各方面との調整支援者集めなどに駆け回り2007年5月日本女子プロ将棋協会LPSA)が結成されると、初代代表理事就任した2007年5月 - 2010年5月)。

※この「日本将棋連盟時代」の解説は、「中井広恵」の解説の一部です。
「日本将棋連盟時代」を含む「中井広恵」の記事については、「中井広恵」の概要を参照ください。

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