ダムの特徴
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工事については1957年(昭和32年)5月よりダム本体建設に際し川の流れを工事現場より迂回させる仮排水路工事が実施され、翌1958年(昭和33年)4月より本体工事に取り掛かった。日本初の大規模ロックフィルダム建設については総事業費の高騰も予想されたため電源開発は国際復興開発銀行(世界銀行)より1,000万ドルの融資、および政府外債3,000万ドル発行に基づく財政投融資による資金援助が行われた。なお政府外債の発行はこの事案が戦後最初である。ダム工事は材料となる岩石を採取するため1957年9月27日から1960年9月19日までの約3年間に26回の発破が行われ、使用した火薬の量は1,676トンに及んだ。こうして堤体積795万立方メートルにもなる巨大なロックフィルダムの原料が確保され、佐久間ダム建設で培われた大型重機の駆使による盛り立てが2年5ヶ月の間実施された。そして1960年10月にダム本体は完成、翌月より試験的に貯水を行いダム本体や周辺への影響を検証する試験湛水が実施され、1961年(昭和36年)に完成した。 完成当時はその規模から「東洋一のロックフィルダム」、「20世紀のピラミッド」とも称された。高さではロックフィルダムとして日本第五位である。ダムは水を遮る壁である遮水壁(しゃすいへき)が斜めに傾いている傾斜土質遮水壁型ロックフィルダムという型式であり、2009年現在300箇所を超える日本のロックフィルダムにおいては希少な型式である。ダムの堤体積は佐久間ダムの7.5倍、旧丸の内ビルの41倍にも及び、ダム直下の国道156号やピーアール施設である「MIBOROダムサイドパーク 御母衣電力館」からその巨大な堤体を望める。膨大な量の体積はダムの安定化に重要な役割を有し、ダム完成直後の1961年8月19日に発生した北美濃地震においてダム地点では震度5の強震を記録し、御母衣第2発電所付近の建設現場では地すべりが発生し4名の犠牲者を出す被害となったが、ダム本体は損害を受けずロックフィルダムの耐震性に対する信頼が増大した。御母衣ダムにおける施工経験はその後の日本におけるロックフィルダム建設、さらには大規模重力式コンクリートダムの建設技術の基礎となった。 ダムによって形成された御母衣湖もダム同様日本屈指の規模の人造湖である。湖の総貯水容量3億7,000万立方メートルはロックフィルダムでは同じ岐阜県にある徳山ダム(揖斐川)に次いで日本で第二位、湖の表面積である湛水面積880ヘクタールは徳山ダム、九頭竜ダム(九頭竜川)に次いで日本で第三位の規模である。 なお、御母衣ダムは水力発電専用であり、多目的ダムのように洪水調節といった治水目的は有していない。しかし莫大な貯水容量を有することから台風や豪雨に際して行われる放流で庄川の下流沿岸地域に与える影響は大きい。このため1966年(昭和41年)5月、河川行政を管轄する建設省は御母衣ダムのような利水専用ダムに対して河川法に規定された「ダムに関する特則」を遵守させるために通達を発令した。この建設省河川局長通達・建河発第一七八号において御母衣ダムは第一類ダムに指定されている。第一類ダムとは豪雨や台風に伴う放流による下流への影響を防ぐために、予め貯水池に洪水を貯水できる空き容量を確保して異常気象時に備えることが必要とされたダムを指す。このため夏季には予備放流を実施してダム湖の水位を下げ、洪水の際にはそれを貯留する役割を持つ。御母衣ダムは治水目的を持たないが、この通達によって多目的ダムを本流に有さない庄川の治水安全度向上において重要な位置を占めている。
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