外債の発行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 15:07 UTC 版)
そもそも外債とは、1920年代半ばに発行していた米ドル建て社債のことである。1920年代に行われた発電所の新増設など設備投資に必要な膨大な資金を調達するための発行であった。 発足初期における投資額は、1922年度から1924年度までの間だけでも1億900万円に達し、大阪電灯の資産買収分を除く設備投資額だけでも7900万円に上っていた。この時期における資金調達は、もっぱら資本金の払い込みと社債の発行によったが、関東大震災による金融逼迫など環境の変化があり、1923年末に社債引受け銀行から融資を断られるなど、資金調達に難儀するようになる。また発行社債は2年から3年半を期限とする高利の短期債で、社債発行と償還を並行して行っている状態であったから、開発が一段落した後には長期債への切り替えが望まれていた。こうした状況の中で具体化したのが外債の発行計画である。 外債発行の舞台となったアメリカ合衆国では、第一次世界大戦中・戦後を通じて新興の投資家層が形成されて証券市場が拡大し、外国証券の発行も活発化していた。その上、事業としての安定性が高く国際的に急成長しつつあった電力業界は、証券市場において有力な投資対象であった。こうした環境の下、1922年以降いくつか浮上しては消えていた外債発行交渉が、アメリカのディロン・リード商会(英語: Dillon, Read & Co.)との間で具体化する。1924年3月には同社の関係者が訪日し、同年4月、同商会の引き受けによる1500万ドルの米ドル建て社債発行に関する仮契約が締結されるに至った。5月には社長の福澤桃介自身が渡米して本契約交渉に臨み、諸問題が浮上して難航したものの、7月に本契約が成立、そして8月1日付で大同電力のドル建て社債発行が実現した。 大同電力の外債発行は、前年6月に東京電灯が発行した英ポンド建て社債に続き電力業界では2番目の事例であり、米ドル建て社債の場合では業界最初の試みであった。以降、電力会社による外債発行は1931年(昭和6年)までの間に7社計14口が成立。うち1口は、ディロン・リード商会を引受会社として1925年7月1日に発行された、大同電力の米ドル建て社債1350万ドルである。第1回・第2回外債の発行条件は以下の通りであった。 第1回外債(1924年8月1日発行)発行総額:1500万ドル 利率:7% 償還期限:20年 減債基金:最初の5年間は毎年50万ドルずつ、次の5年間は毎年70万ドルずつ、最後の10年間は毎年90万ドルずつ 償還方法:発行10年後より額面金額をもって随時償還可能、それまでにも減債基金による償還が可能 第2回外債(1925年7月1日発行)発行総額:1350万ドル 利率:6.5% 償還期日:25年 減債基金:最初10年間は毎年30万ドルずつ、その後15年間は毎年70万ドルずつ 償還方法:期間の制限なくいつでも額面金額をもって随時償還可能、減債基金による償還は額面金額以下での市価による買入償還が可能 外債発行時、対ドル円相場は100円あたり41ドル前後であったから、当時の円相場では第1回外債1500万ドルは約3617万円、第2回外債1350万ドルは約3301万円に相当する。この後円高ドル安傾向となり1927年(昭和2年)には100円あたり49ドルとなったので、利払いおよび減債基金の費用節約に繋がり、さらには償還時の為替差益が見込まれて、外債発行は成功と評された。
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