外債問題と経営悪化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 15:07 UTC 版)
日本では1930年(昭和5年)1月に金輸出解禁を行っていたが1931年(昭和6年)12月にこれを停止、この影響により翌年には世界恐慌を脱して景気回復へと向った。その過程で円相場は急激に下落し、金輸出再禁止の直前1931年12月初めには100円につき49ドル余りであったものが、1年間で20ドル強の水準へと低下した。急速な円安は輸出の伸長や輸入代替化による重化学工業の発展をもたらしたが、恐慌前に多額の外債を発行していた電力会社にとってはその利払いや償還のための円資金を倍増させる結果となり、経営難をもたらすこととなった。 大同電力はこの時期、第1回外債向けに70万ドル、第2回外債向けに30万ドルの減債基金を毎年送金していた。これに利子の送金を加えると、送金額は1932年から1934年までの3年間で合計約700万ドルに及んだ。これを金輸出再禁止前の平価と送金時の円相場でそれぞれ換算して比較すると、3年間で1000万円以上の為替差損を出したことになる。ピーク時の1933年上期には為替差損が半期だけで298万円に達し、営業利益のほとんどを為替差損の穴埋めに向けねばならなくなり、無配に転落した。この事態に減債基金の送金延期、政府に対する支援要請など様々な対策を検討したがいずれも実現に至らずに終わった。支出の増加は発生電力1kWhあたりの費用を1銭8厘(1933年)に押し上げ、販売の伸び悩みとあわせて利益率を急激に低下させる要因となった。 1933年上期末時点での外債残高は第1回・第2回あわせて1900万ドル余りであった。これらの利払いおよび減債基金の送金から生じる為替差損を圧縮するには、外債を自社で買い入れて外債総額を減少するほかなくなり、多額の資金を捻出するため、外債以外の債務整理、傍系会社の整理、営業の拡大などからなる会社更生計画を策定せざるを得なくなった。
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