ダムの黎明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 17:45 UTC 版)
人類史上、初めてダムが建設されたのは古代エジプト・エジプト第2王朝時代の紀元前2750年に建設されたサド・エル・カファラダム(en:Sadd el-Kafara、意味は「異教徒のダム」)と考えられている。このダムは堤高11.0メートル、堤頂長が106メートルで、石切り場の作業員や家畜に水を供給する上水道目的で建設された。その後の発掘調査などから石積みダムであったと考えられているが、洪水吐き(放流設備)を持たなかったため建設後40年目にして中央から河水が越流し、決壊したと推定されている。このため、このダムは現存しない。またエジプト第12王朝時代のアメンエムハト4世(アンメネメス3世)の治世には干拓により形成された農地に灌漑用水を供給するためのダムが建設されたとされている。現存する最古のダムはシリアのホムス付近に建設されたナー・エル・アシダムと考えられている。このダムは堤高2.0メートル、堤頂長2,000メートルのダムで、推定で紀元前1300年頃に建設されたとしている。現在でも上水道目的で使用されており、建設以来約三千年もの間、修繕を重ねながら稼働している貴重な遺産でもある。 現在高さ200メートル級のダムが多く存在する中近東では、メソポタミア文明時代においてチグリス川・ユーフラテス川にダムが建設されたという記録が残されている。東アジアでは紀元前240年頃、黄河流域で建設されたグコーダムが初見である。戦国時代末期、現在の中国山西省付近にあった趙の領内に建設された堤高30.0メートル、堤頂長300メートルのダムである。このダムは12世紀初頭までの約1300年間、ダムの高さでは世界一であったとされている。その後前漢時代には軍事的観点でダムが建設された例が司馬遷の『史記』に記されており、「劉邦の三傑」と呼ばれた韓信が項羽との戦いにおいて戦場の近くを流れる河川にダムを建設、意図的に破壊して城塞や項羽軍に大打撃を与えた。日本では616年、飛鳥時代に河内国(大阪府)で狭山池が建設されたのが初見である。また、多目的ダム(後述)として奈良時代の731年に摂津国(現在の兵庫県伊丹市)で治水と灌漑を目的とした昆陽池が建設されている。
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