ダムを利用した町興しの成功
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「日吉ダム」の記事における「ダムを利用した町興しの成功」の解説
このダム建設によって日吉町の188世帯が水没することになり、「宮村ダム」計画発表の1961年に「日吉ダム対策協議会天若同盟」を住民は結成し、以来1984年(昭和59年)9月に補償交渉が妥結するまでの24年間、町を挙げた強固な反対運動を展開した。このため水源地域対策特別措置法9条指定ダムとして補償額の国庫補助率を嵩上げした他、総合的な地域振興策を実施することで漸く妥結した経緯がある。 この為、公団は日吉町と共に早くからダムによる地域振興を目指した。折から建設中の1994年(平成6年)、建設省はダム・ダム湖を地域活性化の要とし、観光地としての価値をダムに持たせ地域振興に寄与することを目的にダムの積極的な一般開放を目指して「地域に開かれたダム」施策を実施した。日吉ダムはその第1号として指定され、日吉町等と連携して計画的且つ広大な周辺整備に力を入れた。ダム直下流部に複合温泉施設として「スプリングスひよし」を建設、温泉・プール・体育館等を備え、広大な芝生を植えキャンプ場や公園等を整備。日吉町郷土資料館や京都府民の森等もダム近辺に整備、また天若湖は関西北部屈指の釣りスポットとして有名となり、古くから全国的にバスフィッシングで有名な大野ダム、和知ダム、63年京都国体のカヌー会場にもなった由良川との相乗効果で一大アウトドアスポットとした。ダム湖周辺には遊歩道を整備しハイキングコースとした他、マラソンやジョギングし易く路面を整備した。さらには国道9号、京都縦貫自動車道園部インターチェンジ、国道372号、国道477号といった主要幹線道路から近く、他のダムと比較して道路整備が進んでいることも近隣都市部から人気のある理由である。 こうして、ダム管理者とダムによって犠牲を強いられた地元が協力しダムを地域振興の拠点として整備に注力した結果、日吉ダム周辺は京都府民の一大レジャースポットとして成長、現在は丹波地域の観光地として定着した。また来訪者が道中の道の駅や商業施設に立ち寄る頻度が増えたことから経済効果が相当ある。国土交通省調査による直轄・機構管理ダムの年間利用者数で岩手県の御所ダム(北上川水系雫石川、国土交通省東北地方整備局)に次ぎ年間87万人の利用者が訪れるという結果となった。多くの市民が利用する公共施設として、全国的に無駄な施設が問題視されている中での成功例である。 完成後の1998年(平成10年)には郵便切手にもなっている。ダムが切手の図案に選ばれたのは佐久間ダム(天竜川)・小河内ダム(多摩川)・黒部ダム(黒部川)・温井ダム(滝山川)と他には日本屈指の大規模ダムしかない。 堤体 放流ゲート 日吉ダムと広大な芝生 円形展望橋 ビジターセンター
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