ダムの概要
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祓川は急流であるため、1979年(昭和54年)6月梅雨による大雨や1980年(昭和55年)8月に豪雨などでたびたび河岸の決壊や氾濫、洪水を起こし家屋の流出、全半壊や浸水、農地の浸水などの被害が出ていた。その一方で猛暑の影響で渇水が起き水不足が深刻な問題になっていた。そのため、洪水調整や周辺の農業用水の確保、田川地区および北九州地方への水道水を確保することを目的とした多目的ダムが建設されることになった。それがこの伊良原ダムである。 本ダムは国庫の補助を受けている河川総合開発事業で事業名は「祓川総合開発事業」、最終的な全体事業費は758億円。1974年(昭和49年)に実施計画調査を開始(事業に着手)、当初は2000年(平成12年)までに竣工する予定であったが、用地買収などの遅れにより工事が進まず、竣工時期が二度に渡り変更され最終的には2017年(平成29年)度となった。 またこの事業に対しダム建設の是非も問われたが2011年(平成23年)1月末に福岡県が事業継続の方針を打ち出し、同年5月には国土交通省が国のダム事業見直しに絡み本ダムの事業継続を決定した。近年国土交通省が建設中及び建設予定のダム事業を検証し事業の是非を再検討している中で、事業継続が決定されたのは本ダムが最初となる。 計画では高さ83.0メートルの重力式コンクリートダムで、堤高81.3メートル、総貯水容量は2,870万立方メートル、集水面積は36.8平方キロメートルにも及ぶ。田川地区水道企業団(田川市、田川郡川崎町、同糸田町、同福智町)と京築地区水道企業団(行橋市、豊前市、京都郡苅田町、同みやこ町、築上郡築上町、同吉富町、同上毛町)への上水道水供給を予定している。 2018年3月4日竣工。事業着手から竣工まで43年を要する長期化ダム事業となった。
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ダムの概要
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九頭竜川水系の主要な支流である日野川の右支川で福井市内を貫流する足羽川のさらに右支川、池田町内を流れる部子川に建設が予定されている。したがって、ダム名こそ「足羽川ダム」であるが実際は部子川に建設される。これはダムが当初足羽川上流の福井市美山町に建設される予定であったためであり、部子川にダム建設地点が移っても名称は変わっていない。 型式は重力式コンクリートダム、当初は多目的ダムとしての計画であったが、水需要の減少から治水専用ダムとして建設されることになった。通常のダムとは異なり完成しても貯水を行わず、通常時は河水をそのまま流し、洪水時のみ貯水を行う流水型ダム、通称「穴あきダム」となる。当初は堤高130.0m、総貯水容量7200万トンを予定していたが、最終案により堤高96.0m、総貯水容量2870万トンに縮小して建設することで決定した。湛水面積は94ヘクタール、洪水時最高水位は標高265.7m。 ダム湖は普段は空だが、豪雨時には流域の洪水をそのまま受け止めて貯水し、下流へは徐々に放流する方式の洪水調節方式を採る形になる。建設する部子川の洪水を貯水するほか、足羽川上流と支流の水海川、割谷川、赤谷川に分水工を儲けて二系統の導水路トンネルを通じて洪水をダム湖に導水し、貯水する事によって下流への洪水流下を抑制する。部子川自体での集水面積は小さいが、トンネルを使った洪水貯留を行うことで集水面積は最終的に105.2平方キロメートルとなり、足羽川流域の4分の1、上流域の大半に及ぶこととなる。
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